hikari_s.jpg 2002年12月1日 八戸の一番長い日

→開業前日当日のPhoto Report
→開業後1週間のPhoto Report

 2002年(平成14年)12月1日、日曜日。私は生まれてから3度目の新幹線開業に立ち会うことになった。最初は1964年(昭和39年)の「夢の超特急」東海道新幹線。この時は東京駅で撮った写真が残されているだけで、全く記憶にない(2歳)。次は、1982年(昭和57年)の東北新幹線盛岡−大宮間開業(19歳)。その前年に大学に入学し、特急「ひばり」や急行「まつしま」の所要時間で東京から仙台までの距離を体感していたのだが、「東北の夜明け」と共にその距離は半分になり、仙台が急速に東京化していく姿を目の当たりにすることになった。当時は、盛岡より北に新幹線が延びることについて、何の意識もなかった。問題意識どころか、考えたことすらなかったのだ。
 そして、それから20年もの歳月が過ぎ、この日を八戸で迎えることになる。

● 開業前夜
 http://www.city.hachinohe.aomori.jp/machi/sinkansen/umineko-puraza-annai_frame.htm
 http://www2.odn.ne.jp/aaw87660/jreast/morioka/travel/mets/hatinohe/index.html

 11月30日の夕方、診療が終わり青森で開かれる会議に出席するためタクシーで八戸駅へ。少しだけ時間があったので新しくオープンしたばかりの駅ビルをざっと見てまわる。疑問に思っていた1階部分は、中では繋がっていなくて外から出入りする仕組みのようだ。コーヒーを飲むのに駅の中から行けないのはちょっと億劫なので、おそらく自由通路待合室「ノースブリッジ」のコーヒーショップ「ぐるっと遊」(全席禁煙)を利用することになるだろう。駅に向かって左側がドトールと活魚「特鮮館」、右側が八戸市図書情報センター。ここでは雑誌やビデオ・CD・DVDの貸し出しはするけど、図書資料は貸し出していないとのこと。個人的には利用する機会はほとんどなさそうだが、2階の観光プラザや市民サービスセンターと共に、今後どれくらい市民や旅行客に利用されるのかも注目される。

 3階の料理屋「烹鱗」は禁煙ではない。回転寿司「うお彩館」にも禁煙の表示はなく、店内を覗いたところタバコを吸っている人や灰皿は見かけなかったが、テーブルについている丸いメッシュのようなものが備え付けの灰皿なのかもしれない。ドトールが全席禁煙でないことは周知の事実なので確認せず。図書センターと観光プラザはさすがに禁煙だが、市民センターは時間外で確認できず。

 ホテルメッツにどうやって行けばいいのか、少しわかりにくい。ただエレベーターに乗るだけなのだが。

 自由通路には、県内のマスコミが総結集。

 駅前で知り合いの新聞記者Oさんに会う。連日の取材でだいぶお疲れのようだが、本番はこれからなのだ(新聞記者も大変な仕事だ)。

 駅前の階段のぼり口にある灰皿のところで報道陣がスパスパとタバコを吸っている姿が目につき、非常に「めぐさい」だけでなく駅に出入りする人の方に煙が流れてきて問題だ。翌開業当日も、ここでタバコを吸っている人の多くは腕章をまいた人たちだった。これでもし自由通路が禁煙でなかったら、悲惨なことになっていた。マスコミ関係者の意識改革は、難しいだろう。

● 青森と八戸

 16時発の函館行き「スーパーはつかり」で青森へ。青森終着ではなかったためか、車内放送では新幹線開業の予告はあったものの、「はつかり」最終日の乗客に感謝のメッセージはなく、少し寂しい感じがした。

 青森駅には多数のノボリや旗がひるがえっていたが、駅や街の雰囲気は八戸とは対照的にいつもと変わらず、これまた知り合いの新聞記者Kさんが指摘していた県内の「温度差」を、この日はモロに感じた。

● つがる2号

 12月1日朝5時15分、前夜のアルコールがまだ体に残っていたがベッドから無理矢理這い出して、まだ真っ暗な街をトボトボ歩き青森駅へ。始発の「つがる2号」は出発セレモニーもなく、写真を撮る人の姿もまばら。しかし、車内で乗客が新聞記者のインタビューを受けている光景もあり、かろうじて新幹線開業日の雰囲気を感じる。

 チェックアウトしたホテルで入手した東奥日報の分厚い朝刊を読みながら眠ろうとしたが、まったく眠れない。座席や床の暖房がきつすぎて、シートにまともに尻をつけて座ることすらできないのだ。北国の列車ではかつてよくあった話だが、この時代にいい加減にしてほしい。それでも少しウトウトしてきたところで、今度は検札で起こされるのにも閉口。新幹線「はやて」は検札がないのもセールス・ポイントだが、在来線の方は何とかならないものか。

● はやて2号

 八戸駅に降り立ち、入場券を買って新幹線ホームに入ろうと思ったが、乗り換え口の券売機が大混雑で進みそうにないため、いったん改札を出てみどりの窓口に向かうもここも同様。結局、誰も並んでいなかった窓口で入場券を買ったのだがこれが大正解で、急いでホームに降りたら「はやて2号」のドアが閉まる寸前。感慨を覚える間もなくスルスルと発車してしまった。

 新聞報道で知ったことだが、「つがる2号」は2−3分遅れで八戸駅に着き、乗り換えの混雑で「はやて2号」に乗り遅れた人もかなりいたという。確かにあの状況ではあり得ることだが、JRの対応もお粗末としか言いようがない。調べてみたところ、青森始発の「つがる2号」はそれまでの「はつかり2号」と比べて所要時間が61分から56分に5分も短縮されている。しかも、八戸駅での乗り換え7分間は全ての接続時間(7〜14分)の中で最も短いのだ。ちなみに、これまでの盛岡駅の乗り換えは8〜16分。楽しみにしていて乗り遅れた方には、ご愁傷様としか言いようがない。

● 輝ける朝日を浴びて
 http://www.city.hachinohe.aomori.jp/machi/sinkansen/kaigyo_zokuho-hayatesyuppatsu.htm

 新幹線のホームは意外なほどガラガラ。向かいのホームにはテープカットの300人が並んでいたはずなのだが、あのホームでは大した人数にみえない。みんなどこに行ったのだろうと先頭の方に向かったところ、出発の式典を終えて引き上げていく要人多数とすれ違う。ここで前述のKさんを発見し手を振って挨拶。この時ウロウロしている私の姿がTVニュースに流れたらしい。

 式典で一番列車出発の業務を務めた「はやて君」が大勢の報道陣に取り囲まれてベソをかいていた。

 初めて降り立った新幹線ホームをみてまわるも、あれほど要請したのに喫煙所がホーム中央部に堂々と設けられていて失望。真新しいホームの、灰皿の脇に投げ捨てられた吸い殻を証拠写真として撮影。実はポイ捨てというのは灰皿のあるところでより多く発生する現象なのだ。こういう喫煙者にマナーを期待すること自体が前提条件として成り立たないものだということは、千代田区路上禁煙条例の議論をみるまでもなく明らかだ。

 朝日を浴びて「はやて」が2編成並び立つ姿は、新幹線時代(死語?)の幕開けをまざまざと実感させてくれる。

 ホームの弁当屋では、目当てのアルマイト製「はやて弁当」は既に売り切れ。品揃えをチェックし、コンコースの弁当屋で昼食用に新作の駅弁を4つ購入。「倉石牛めし」の売れ行きが好調なようだ。駅弁については後ほどもう一度ふれる。

● せんべい汁

 コンコースの待合室「サザンブリッジ」は大混雑で、話題の木製ベンチにはスカーフを真智子巻きにしたカッチャたちがどっかりと腰を据えて動く気配がない(おそらくテープカットを終えた人たちなのだろう)。一通り見てまわった後、再び自由通路へ。仙台からの一番列車が着くまでは予定がなく、ブラブラ歩きながら人々の動きを眺めていた。それにしても、今日は八戸の主要メンバーが八戸駅に全て集まったような雰囲気で、見知った顔にも何度も出会い、その度に「ごくろうさまです」という言葉が自然と口から流れ出てくる。本当にご苦労様としか言いようがない。

 7時半の八戸線で着いたはずの家族と会えなかったので、集合場所の上長公民館に行くことにして駅前に出たところ、お振る舞いの「せんべい汁」で賑わっていたので早速列に並び一杯いただく。この時間は地元の人間ばかりで申し訳ないと思うが、冴えわたる青空と風のない穏やかな朝の空気の中で、心に残る一杯となった。ごちそうさま。

● よろこびの歌
 http://www.city.hachinohe.aomori.jp/machi/sinkansen/kaigyo_zokuho-kangei.htm

 公民館に集まっていたコーラスのオバサマ方(失礼、一部に若い方、お子さん、男性の方も含まれます)が大挙して押し寄せてくると、自由通路の人口密度は一気に高まり、見物の人々との間に設けられた到着客のための通路を歩くには少し勇気がいりそうだ(現に、地元の人たちは見物人の後ろのほとんどスペースのないところを行き来していた)。この状況じゃまともな写真は無理そうなので、ノーファインダーで適当に撮ってお茶を濁す。

 ようやく8時半に仙台からの一番列車が到着し、「よろこびの歌」と「新・八戸市民の歌」が2回ずつ歌われた。正面で聞くとそれなりに聞こえるのだが、少し横の方に回ると思ったほど声が響かないで散ってしまい聞き応えがない。ここで聞いた限りでは、市民の歌の方が良かった。記念にイカ・ホッケーのキーホルダーをGET。

● 八戸線と青い森鉄道
 http://aoimorirailway.com/

 コーラスが早く終わったので、予定より一つ早い八戸線で陸奥湊へ。しかし、いくら新幹線が開通しても八戸線は旧態依然。本八戸ではすれ違いで4−5分待たされるし、車両も古いまま。いっそのこと、八戸線も青い森鉄道に売って一体で経営すれば、県の負担は重くなるけど乗客の多い区間が加わるので経営は楽になるのではないか? 素人考えなので実際のところはよくわからない。新幹線青森開通の時には、八戸線や大湊線の扱いがあらためて問題になるのか、それともJR残留(サッカーみたいだな)はすでに決まっているのか、こちらもよく理解していない。いずれにせよ、並行在来線の問題を抜きにしてこの日は語れまい。

 八戸駅でみかけた青い森鉄道職員の新しい制服は、深い緑を基調にして清々しい感じだ。そういえばJRの方も見慣れない制服だったので、新しくなったのだろう。

● 陸奥湊のカッチャたち
 http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2002/1006/nto1006_10.html

 陸奥湊駅前では日曜新鮮市が開催されていて、中学生のブラバン演奏や手踊りなどのイベントも行われ、地元の人たちで賑わっている。市場の2階で青潮小えんぶり部の出演準備。私は何もすることがなかったので、街に流れる「おさかな天国」を一緒に口ずさみながらあたりを一回りみて歩く。実を言うと、朝は苦手なので「朝市」にも来たことがなかったのだ。

 10時半に快速のジョイフルトレインうみねこが到着。新聞では何とも思わなかったが、そばでみるとやたらと派手で、そのセンスには疑問符が3つくらいつきそうだ。乗客が降りてくるのにあわせて、鏡開きと子どもえんぶり。ぐるっと見回したところ、八戸駅で配っていたお土産入りの青い袋を持っていたのは、若い女性が一人だけ。声はかけなかったが、観光客っぽくないから地元出身の人かも。

 松の舞・喜び舞のちびっ子たちや、恵比寿舞い(鯛釣り)で尻を振って奮闘する場面などは、湊のカッチャたちにやたらと受けている。まあ、今日だけはとにかくお目出度い一日ということで、観光客がいようがいまいが、これで良かったのではないか。

 新湊橋を渡って、小中野にとめておいた車で帰宅。私は何もしなかったのだが、ちょっと疲れたし、やたらと眠い。

● 新作駅弁の食べくらべとテレビ中継

 一気に充実して激戦区になったのが八戸駅の駅弁。(→駅弁のPhoto Reportはこちら

 <吉田屋>さんまの柚香ずし(630円・税込み=以下同じ)、いかの姿寿司(850円)、八戸いかめし(680円)、陸奥湾大玉ほたて弁当(1,000円)、八戸小唄寿司(1,050円)、大漁市場(1,300円)、いわし蒲焼風弁当(630円)、南部の桶めし(820円)、大人の休日・一期一会(1,500円)
 <日本レストランエンタープライズ>はやて弁当(1,050円、アルマイト製=限定1,600円は売り切れ)、海鮮幕の内(1,000円)、とりめし(600円)、穴子いくら弁当(1,000円)、海鮮小わっぱ(800円)、南部わっぱめし(1,000円)、味噌ヒレカツ弁当(600円)
 <仙台伯養軒>倉石牛めし(900円)、まるごと倉石村(1,000円)、南部のかっちゃ弁当(800円)、八戸港・海鮮ちらし(900円)
 <ニュー八>菊ずし(1,000円)

 以上、新作旧作取り混ぜて21種類の品揃え(スゴイ)。その他にサンドウィッチなども販売されていたが記録せず。また、駅ビルの回転寿司でも弁当を販売しているのを後日発見。(その後、八戸駅で販売されている駅弁は25種類という記事を目にしたが、残りの4種類については確認できていない)

 えんぶりが終わって自宅に戻ったのは11時半過ぎ。購入した新作駅弁4種をデジカメで撮影し、家族で試食会。

◎ 倉石牛めし…倉石牛が美味。盛岡駅の前沢牛よりも美味しいかも。オススメ。☆☆☆☆☆

◎ 南部のかっちゃ弁当…派手さはないが美味しい。狙いは良いと思う。☆☆☆☆

◎ さんまの柚香ずし…柚子の香りがさわやかでさんま臭さはなく、胡麻のはいった寿司飯とマッチしていて意外な一品。何人かでわけて食べるには良いが、一人で全部食べると飽きるかも。☆☆☆☆

◎ いかの姿寿司…これについては評価保留にしておきます。美味しいし八戸だからイカの弁当が食べたいという人には、ただのイカめしではなく意欲作としてお勧めできるけど、どこかインパクトに欠けるきらいがある。現時点では☆☆

 以下の9種類は後日購入して試食してみたものだが、便宜のためここにまとめて紹介しておく。

◎ はやて弁当…アルマイト製は既に売り切れで、紙製容器。月光仮面のデザインは秀逸。中身についてはお品書きに詳しく記載されており、卵焼きも梅干しもごはんも文句なく美味しい。が、幕の内でこの価格はやや割高感あり。しかし、買って損はないし、みんな買うでしょう。はやてに乗ったらはやて弁当とは考えたな。アイデア勝利。☆☆☆☆

◎ 菊ずし…有名な弁当が駅弁に新登場。いか、さば、うに、さけ、ほたての5種。これも非常に美味しく、小唄寿司より50円安い(小唄寿司の方が食べ応えがあるのも確かだが)。☆☆☆☆☆

◎ とりめし…八戸駅の駅弁で一番安いのがこれ。ごぼうが多いのは個人的には嬉しいが、鶏肉はやや味気ない感じ。☆☆☆

◎ 穴子いくら弁当…これは大体予想通り期待通りの美味しさで、価格が高めな気もするがこれくらいなのか。☆☆☆☆

◎ まるごと倉石村…倉石牛のステーキや長芋など、文字通りまるごと倉石村の新作。これも非常に美味しいが、どちらか一つと言われれば倉石牛めしを選ぶかも。☆☆☆☆

◎ 八戸港・海鮮ちらし…ほたて形の容器に入った新作。パッケージ写真と比べてイクラのつまり具合に偽りあり、かも。味は普通に美味しく特に感想なし。☆☆☆

◎ 陸奥湾大玉・ほたて弁当…ほたてが3個入った意欲作。海鮮ちらしよりも100円高いが、こちらの方が美味しくて子どもたちには好評だった。☆☆☆☆

◎ いわし蒲焼風弁当…これは新作ではありませんが、同じ吉田屋の小唄寿司と共に八戸の駅弁としては有名なものですね。美味しいし安いので時々買って食べますが、「いわし蒲焼き」単品の直球勝負ですのでご注意を。☆☆☆

◎ 味噌ヒレカツ弁当…盛岡駅で売っているものと同じか。味噌ヒレカツは予想通りの美味しさだが、やや衣が厚いかも。☆☆☆ (画像はありません→参考ページ

◎ 清酒えんぶり本醸造「蔵」初しぼり生酒・東北新幹線開業記念(720ml 1,500円)…こちらも記念にどうですか。美味しいですよ。

 話を当日に戻そう。弁当を食べ終わって各局のニュースや特番を眺めていたが、12時半に盛岡を出た岩手のアナウンサーが、お茶を飲みながら新聞を読んでいる間に、午後1時にはもう八戸に到着してしまった。30分というのがどのくらいの時間、どのくらいの近さかということが、はじめて実感できた。これはスゴイ。

 と同時に、盛岡に行くときには時間があれば青い森+IGRの快速を利用しそうな予感も…。

● 光の森ファンタジア
 http://www.city.hachinohe.aomori.jp/machi/sinkansen/kaigyo_zokuho-hikarinomori.htm
 http://www.city.hachinohe.aomori.jp/koho/oshirase/fantasia.html

 1時間ほど昼寝するつもりが、起きたらもう3時半。急いで支度してバスで街へ。光の森ファンタジアのイベントは既に始まっている。赤鼻のトナカイは誰かと思ったら南部道楽千年祭委員長のFさん。子どもたちと一緒に写真を撮らせてもらう。思ったよりも大がかりで多くの人がボランティア・スタッフとして参加しているようだ。国際交流協会の主催だけあって、さすがにここだけは国際色豊かだ。少しお腹が空いてきたのだが、終わるまでガマン。このイベントの仕掛け人であるMさんの姿もチラッと見かけたが、忙しく動き回っているようで声はかけず(ごくろうさま)。
 http://www.toonippo.co.jp/rensai/ren2002/youkoso_hayate/1121.html

 広場も暗くなり、ペンライトをもらってカウントダウンを待つ(このペンライトの折り方がわからない人が多かったのか、500本も配ったというのに本番ではチラホラと光っていただけだった)。ジョン・レノンの "Power to the People" にのせて全国からのメッセージが流されたのは良かったが、中村市長は最後にちゃんとシュートしなかったような…。

 今度は音響がしっかりしていたので、「よろこびの歌」も人数分の迫力が出ていてしっかり盛り上がった。お腹が空いたので、市民ゴスペルの途中で失礼して屋台村へと向かう。

● 八戸屋台村「みろく横丁」
 http://www.36yokocho.com/

 夕方5時半をまわって、屋台村はどこもほぼ満席。オープン以来2週間で3度目だが、たまたま席が空いた「K」に初めて入る。料理や刺身は美味しいのだが、ここは個人的にはまた行きたいとは思わない。店主はあまり愛想がなく話もしないし、もちろん禁煙でもない。調べてみると、ここだけは某ホテルの経営で屋台村のベンチャー精神とはそぐわない気がする。

 軽くすませて2軒目は「めん匠」で八戸らーめんと餃子。八戸らーめんは「正華」と湊高台の「五香」とここで3軒目。いずれも味が微妙に違うが、「めん匠」のは普通のしょうゆラーメンに近い感じだ。ここだけチャーシューが2枚。灰皿はなかったが禁煙の表示もない(どっちなんだ?)。3軒のなかでは「正華」がコンセプト通りの印象で一番美味しかったと思う。

 屋台村11軒のうち、これでやっと5軒制覇。1月には更に増えるということだし、やれやれ、全店制覇はちょっと難しいな。

● 八戸から世界へ、全国から八戸へ
 http://www.htv-net.ne.jp/

 帰宅後はさすがに疲れと満腹で何もする気がせず、大河ドラマ「利家とまつ」に続いて八戸テレビの新幹線特番をダラダラと見て過ごす。屋台村の「ねね」オープンまでのリポートは、ずいぶん長い時間取り上げられたけど宣伝上手と言うか何というか…。

 店内からの中継に切り替わり、整形のH先生が東京帰りで飲みながらインタビューを受けている姿がインターネット中継で全世界に流れた。さすがにネットの最先端に生きる人は違う。

 一日の動きを振り返るコーナーでは、薩摩焼の沈 壽官さんが「新幹線は素晴らしかったですよ。本当におめでとう。八戸の人が一番喜ぶ日に来たいと思ってね。八戸市民大学で3回ほど講演したことがあり、たくさんの友だちもできたが、その人たちがみんな新幹線に全力を上げていた。その夢が叶った日だから、是非行かねばなるまいと思って鹿児島からやって来た。都会に吸い込まれない、都会を吸い込むような、八戸の魅力を発散する街になってほしい。大いに期待してますよ」と語っていた。これには、私のように何もせずに眺めていたものでも思わず胸が熱くなった。

● 宴のあと
 http://www.toonippo.co.jp/tokushuu/shinkansen/index.html
 http://www.daily-tohoku.co.jp/new-line/n-linetop.htm

 地元各紙やローカル局の報道は新幹線一色で最大限の扱いだったが、予想された通り中央紙(毎日)では1面に写真入りの囲み記事を置いただけで、社会面には「式典がいくつも重なって出席者はタイヘン」というあまり意味のない記事が一つ、残りは全て青森ローカル扱い。全国ニュースでは民主党ハトポッポおろしや高速道路イノシシ出没問題などに手一杯で、批判記事が社説「はやてデビュー 再考・新幹線の政治経済学」だけだったのは幸いというべきなのか。しかし、この社説は高速道路も新幹線も一括りにして経済効率だけで論じていて、それはそれで理解できるものではあるが、決定的に欠けているのはそこに住む人々の、あるいは国民全体の生活や「気持ち」についての視点だ。「政治経済学」は人々の気の持ちようとは無縁ではない。経済効率一辺倒の社会から心の豊かさを求める地域循環型社会へのステップとして新幹線開業を位置づけられないだろうか。このへんは結論が出ないので宿題にしておく。
 http://www.mainichi.co.jp/eye/shasetsu/200212/03-2.html

 一方、地元D紙の記事を読みなおしてみると、「開業後の最大の課題は…八戸駅周辺の街づくりと中心市街地の再生に尽きる。表通りの駅東地区に位置する一番町商店街。…再開発構想は宙に浮いたまま。…一方、八戸都市圏の顔である中心市街地は八戸屋台村がオープンし、にぎわい創出の取り組みが進む。しかし、…三日町番町地区の市街地再開発事業も一気に進む気配はない」などと書かれている。
 http://www.daily-tohoku.co.jp/new-line/shinkansen/s200212022.htm

 この新聞社は何年間も新幹線関連の取材をし続けて、そこで得られた結論が「最大の課題は駅前と中心街の再開発」なのだろうか。三日町再開発ビルだって、そんなもの悠長に待っている人は誰もいないし、それよりも大事なこと、やるべき事があることは、すでに屋台村や光の森ファンタジアなどで実証されているではないか。

 新幹線開業を迎えての最も大きな変化は、私自身を含めて、人々の意識が変わりはじめていること、何が大事か気づきはじめていることだろう。「何が大事か」と言えば、それは、何が大事かを自分で考えること。そしてそれは待っていても実現しないし、自分が変わらなければ、自分で変えようとしなければ変わらないということ。それに気づいて人々の気持ちがまとまりだしている。すでに八戸は変わってきているのだ。そして、それは本来新幹線とは関係なく変わらざるを得なかったのだということにも、多くの人は気づいている。

 もちろん、まだまだ実際の変化として不十分なことは事実だろう。目に見える「対策」も、何とかこの日に間に合わせはしたものの、付け焼き刃的な部分も残されているように思う。しかし、いま必要なことは、動き出した歯車が止まらないように、あるいは間違った方向に進まないように、全体を見渡して様々な視点から問題を整理して提供していくことではないだろうか。

 観光とか交通とか企業誘致とかおもてなしの心といった議論ももちろん必要だが、それによって得られる目に見える効果、つまりは「お金」で全てを評価しようとすると、数年後に新幹線は差し引きでマイナス効果しか残らなかったなどという馬鹿げた結論しか得られないだろう。

 八戸の一番長かった一日も終わり、駅や街のお祭り騒ぎから離れて新幹線報道も一段落すると、街行く人の姿や私たちの生活は何も変わっていないことに気づかされる。今あるのは、新幹線の通った街になったという事実だけ。JRから乗車数・乗車率が発表になったが、開業初日ですら乗車率が59%に過ぎないのに、乗車数が前年比2.3倍の「はやて特需」などと報道している。一体この日に増えなくていつ増えるというのだろう。そして、観光地や中心街では「はやて」の初期効果にも濃淡が出始めているようだ。
 http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2002/1203/nto1203_9.html

 私たちはこの日を熱狂的に迎えたわけでも冷めた目で傍観していたわけでもない。新幹線は、この先いつまでも逃げも隠れもせず存在し、東京と八戸の間を律儀に走り続ける。よく表現されるように、それは私たちののど元に突きつけられた諸刃の剣だが、今さらメリット・デメリットなど議論しても仕方がないし、期待しすぎて失望したり、わざと無視したりするのも馬鹿げている。

 この1年間、ありとあらゆる人が新幹線のことを語り、考え、そのために駆けずり回ってきた。この日を区切りに、新幹線のことを議論するのはお仕舞いにしたい。新幹線はもう私たちの一部だ。

hayate_s.jpg ● 2002年12月1日 東北新幹線「はやて」八戸開業にむけて
 http://www.kuba.gr.jp/omake/shinkansenP.html

 上記のページに、新幹線をめぐる1年間の思考錯誤が記録されていますので、興味のある方はご覧下さい。

特別付録 くば小児科ホームページ