ちょっと気になる単位の話 −身体感覚との関連について−

久芳 康朗

「住まば日の本、遊ばば十和田、歩きゃ奥入瀬の三里半」と大町桂月にたたえられた渓流美は、その歌のとおり、渓流沿いの自然歩道を歩くことによって、はじめてその魅力を堪能することができる。焼山から石ケ戸のあいだは、静かな森の散策を楽しむことができる約一時問半の道、そして石ケ戸から子ノロまでは変化に富んだ約二時間半の道である。全行程の標高差は約二百メートルで、勾配のいたっておだやかな自然探勝路である。(自然公園美化管理財団発行「十和田湖」より)

 奥入瀬渓流の三里半(約14km)は、二〇〇二年のゴールデンウィークに家族で初めて焼山から子ノ口まで歩き通し、新緑のブナの鮮やかな緑に圧倒されました。その後、二〇〇三年の七月には十和田湖ウォークに参加して十和田湖一周50kmをなんとか完歩し、同年九月にはマイカー規制が初めて実施されて比較的静かな奥入瀬渓流を再び歩いてみたりして、少しずつ北東北の豊かな自然を感じながら歩く楽しみを覚えてきたところです。今回は、十和田湖ウォーク初参加の顛末記を書いてみようかと思いましたが、次回のチャレンジのためにいま足腰を鍛えてなおしているところでもあり、また次の機会に回させていただき、これまであまり気にとめていなかった様々な単位の話を少しまとめてみたいと思います。もとより、博学な諸先輩方に講義するなどというつもりは毛頭なく、いかに自分が何も知らなかったかをさらけ出すだけのことになりそうです。

 単位といっても数学、物理、化学、生物、医学など様々な専門分野で星の数ほどの単位がありますが、長さ、重さ、時間といった身近なものの中から私自身にとって「知っているようで知らない」ものをいくつか選んでみます。本来なら、長さ、重さといったカテゴリー毎にまとめた方がわかりやすいのかもしれませんが、尺貫法を中心にして身体感覚との関連を考えながら概観してみたいと思います。

一、尺貫法

 東海道五十三次といいますと、江戸の日本橋から京都三条まで一二六里半に五十三の宿場が置かれていたことになり、全五十四区間で割ると一区間の平均は二・三里(約9.0km)になります。なぜ十和田湖ウォークからいきなり単位の話に飛んだのかというと、十和田湖一周50kmの間に子ノ口、御鼻部山、滝ノ沢峠、大川岱と四か所の休憩所が設置され、その間平均10kmを約二時間のペースで歩くと、朝の五時にスタートして午後三時頃にゴールできる仕組みになっていることを、今回初めて歩いて実感できたことがきっかけでした。十和田湖ウォークはウォーキング自体を目的として少し速く歩くので、普通の歩き方で考えると二里を二時間(昔の数え方で一時<いっとき>)で歩いて一休みするというのが身体の感覚としてはちょうど良いことがわかり、「里」という単位が非常に理に適ったものだと改めて感心したとの同時に、古今東西の様々な単位が何を基準にして生まれ、日常生活の中でどのような感覚で使われてきたのかについて少し興味を覚えるようになってきたからです。

 当時の人の歩行距離は、健脚の人なら一日に十里位、女性まじりの旅なら七〜八里の場合が一般的だったようです。東海道でも、日本橋を出発して保土ヶ谷の宿まで八里半でおおよそ八時間半となり、旅の一日目としては保土ヶ谷か次の戸塚(十里半)で宿をとることが多かったようで、『東海道中膝栗毛』にも「お泊りはよい程が谷と留め女<とめおんな>、戸塚前<とっつかまえ>ては放さざりけり」と、宿泊客を呼び込む「留女」が人々の行く手を阻んでいた様子が歌われています。

 ここで尺貫法の「長さ」の単位についてまとめてみます。尺貫法は、中国大陸や朝鮮半島から伝来し、大宝律令で制度化されたもので、一尺の長さは時代や目的によって異なり、近世には享保尺、又四郎尺、また用途により鯨尺、呉服尺などが用いられていました。明治時代に曲尺<かねじゃく>と鯨尺以外は禁止され、メートル条約加入後、一八九一年(明治二十四年)に曲尺一尺=10/33m(約30.3cm)に統一されました。なお、曲尺の一尺は鯨尺の八寸に相当します。

 長さの単位としては、小さい方から順に、毛(10-4尺)、厘(10-3尺)、分(10-2尺)、寸(10-1尺=約3.0cm)、尺、間(6尺)、丈(10尺)、町(60間=約109.09m) 、里(36町=約3.927km)となります。

 寸は「一寸の虫にも五分の魂」「一寸先は闇」といった諺や『一寸法師』などで今でも馴染みが深いのですが、長崎に「一寸先は光」という麦焼酎があり、大河ドラマ『利家とまつ』の中でも、佐々成政の家臣で丹波哲郎が扮する井口太郎左衛門なる人物がこの台詞を何度か口にしていました。 ところが、この太郎左衛門は信長の暗殺を企んだ人物として史実に残っているだけで、それ以外はこの台詞も含めて全て脚色であり、ごく最近になって使われだした造語をドラマの中に取り入れただけのようです。

 子どもの頃よく手遊びをした『アルプス一万尺』のアルプスは日本の北アルプスのことであり、槍ヶ岳の標高3180mを尺になおすと一万尺強となり計算が合います。ちなみにアルペン踊りを踊るのは「子ヤギの上」ではなく「小槍」という槍ヶ岳のすぐ横にある小さな尖峰のことで、もちろんそんなところで踊りを踊ったりすれば命の保証はありません。また、原曲はアルプスとは縁もゆかりもないアメリカ民謡だそうです。この遊びは、辛うじて今も幼稚園や学校などの場で子どもたちに伝えられ命を永らえています。

 丈はあまり馴染みがないように思えましたが、そういえば『箱根八里』に「万丈の山 先仭の谷」という歌詞がありました。万丈となるとアルプス一万尺の十倍ということになりますが、これはもちろん非常に高いことの形容表現ですね。「先仭」の方は、意味は大体想像がつきますが正確にはわかりません。『大辞林』で調べてみると「せんじん【千尋/千仞】(「尋」「仞」ともに長さの単位)山などがきわめて高いこと。谷や海などがきわめて深いこと。ちひろ。―の谷」とあるのでおそらく同じ言葉だと思います(尋・仞についてはここでは割愛させていただきます)。『箱根八里』にはその他にも「羊腸の小径」のように、子どもにはすぐに意味が理解できない単語が多数出現します。こういったものは逐一教えようとしないで百人一首のようにそのまま歌って覚えてしまい、大きくなってから「ああそうだったのか」と納得するのがいいように思えますが、すでに『教科書から消えた唱歌・童謡』の一つになっているようです。

 『三国志』には登場人物の身長がしばしば表記されていますが、劉備に三顧の礼で迎えられた諸葛亮は、このとき二十七歳で身長八尺であったと伝えられています。これを現代日本の尺で計算すると240cmを超えるとんでもない背丈になるのですが、彼らの生きた後漢時代(一尺=23.04cm)あるいは『演義』の書かれた魏の時代(一尺=24.12cm)の尺度で計算しても、184.3cm〜193.0cmという巨漢であったことになります。

 これらの単位のうち、町(丁とも書く)は文字通り町の一区画の長さの単位とされていました。試しに地図上で八戸市中心街を計測してみると、六日町は約180m、長横町とロー丁の間や表通りと裏通りの間は約90mになりますが、計算が合わないのは尺の長さの違いによるものかもしれません。(逆算すると一尺=約25cm)

 尺貫法は一九五八年(昭和三十三年)までメートル法と併用して公認の単位として用いられていましたが、一九六六年(昭和四十一年)の改正「計量法」により、尺貫法による定規や升などの製造販売が禁止されてしまいました。永六輔さんが尺貫法の復権運動を行って曲尺を売ったりしていたことは有名ですが、各方面からの声に押されて現在はこの規制は若干緩和されているようです。しかし、規制のあるなしにかかわらず、建築・木工などの職人の世界で連綿と使われ続けてきたのは、単にそれまでの習慣といったことに留まらず、単位としての合理性に叶っていたからでしょう。

 近年、日本人の体格向上や国際化に伴い、従来の一間182cmを単位とする日本家屋では鴨居に頭をぶつける輩が続出したため、この世界でも変化が生じているようで、わが診察室を例にとると、ドアは幅72cm×高さ210cmと細長サイズとなっていく一方で、自宅和室の畳は縦167cmしかなく、尺貫法の面影はほとんど残っていません。

 しかし、この一畳は団地サイズにしても狭すぎやしないかと思って調べてみたところ、畳には京間(本間)=六尺三寸(191cm)、中京間=六尺(182cm)、江戸間=五尺八寸(176cm)と地域や時代による違いが元々あった上に、団地サイズ=五尺六寸(170cm)が高度成長時代に出現してくるわけですが、我が家の畳はそれよりもさらに小さい。困った問題ですが、ここで論じても仕方がないので話を戻します。

 尺貫法の面積の単位は坪(歩)、体積の単位は升、重さ(質量)の単位は貫。

 面積と体積は長さの話の続きで考えていきます。一坪(歩)は六尺平方(3.3m2)、畳二帖分に相当しますが、「歩」は田畑林野に使われ、「坪」は家屋や敷地面積の表示に使われています。そのもとは読んで字のごとく歩幅で、人が耕す最小単位をその足で二歩四方にとったそうです。また、一坪は畳二帖で布団二枚、男女二人が再生産を行う最低限の広さでもあります。ここから先は農村で暮らした経験がないので身体感覚として実感できないのですが、畝<せ>(30歩=0.992a)、反(10畝=300歩)、町(10反=0.992 ha)と続きます。反は段(たん)が正式のようで、約31m 四方で田んぼの大きさの基本とされています。ただし、一町[面積]は一町[長さ]四方の3600坪ではなく3000歩(坪)であり、このあたりは街づくりと農地との微妙な違いがあるのかもしれません。また、日本の農地の単位は、戦前からメートル法でやっていましたが、尺貫法の一畝がほとんど1a、一町がほぼ1haだったことがスムースに移行できた要因だったようです。

 体積の方はもっと感覚的に理解しやすく、勺(10-2升)、合(10-1升=約180ml)、升(約1.8リットル)、斗(10升)あたりまでは料理やお酒、灯油缶などの感覚でほぼ理解できます。しかし、基本単位がどのように定められているのか知らないため調べてみたところ、枡の大きさが全国的に統一されたのは江戸時代初期の事で、寛文九年(一六六九年)に統一令が出され、一升枡は方四寸九分、深さ二寸七分(1.8039リットル)に定められたとのことです。

 その上の石(10斗=102升)は、かつて大名・武士の知行高を表すのにも用いられましたが、実際にはどれくらいの量でどのくらいの収入に相当したのでしょうか。人一人が一回に食べる米の量を一合(茶碗二杯分)とすると、一日で三合。これに三百六十日(太陰暦)をかけると、千八十合ですから、約一石になります。つまり、人一人が一年間に食べる米の量が一石ということになり、「百万石の大名」は、領地から作られる米で、百万人を一年間養うことができた大名ということになります。

 資料によると、遠野南部家では知行地から生産されるものの配分は五公五私、つまり半々ということになり、一石のうち半分の五斗が武家の取り分になりますが、お借り上げと称して一斗から一斗五升が現在でいう所得税の意味合いで差し引かれたので、実収は三斗五升、俵一俵ということになります。百石取りの武士の場合、一石は三斗五升で俵一俵、百石ですから俵百俵、三十五石の実収ということになります。遠野は実高一万二千七百石余とされていますが、実際は米の生産高は七千石、その他はすべて雑穀、すなわち稗、粟、豆、蕎麦ということで米に換算して石高を算出したものだとのことです。ちなみに、俵一俵は明治時代に四斗に統一され、現在は重さに換算して一俵60kgに統一されているのですが、問題はお米一俵を肩に担ぐことができるかどうかにあります。

 重さの方は少し馴染みが薄いかもしれません。一貫は、これも時代によって相違があったものを、メートル条約加入後、15kgを四貫(一貫=3.75kg)と定めました。貫は一文銭千枚を穴に紐を通して(貫いて)まとめた重さで、匁<もんめ>は貫の千分の一(3.75g)、すなわち一文銭一枚分の重さになります。匁とは文目の意味で、「匁」の字は「文」と「メ」を組み合わせた国字です。匁は尺貫法廃止後も真珠の目方を量る単位(momme)として国際的に使用されていることはご存じの通りです。

 貫といえば、昔は太った子をいじめる時に「でーぶーでーぶーひゃっかんでーぶ」と囃し立てたものですが、既に死語になっているようです。百貫デブの体重はなんと 375kg であり、ギネスプックものではないかと思って調べてみたところ、体重世界一になっている男性は 635kg、女性は 544kg だとのことです。この言葉が使われなくなった背景には、人権やいじめに対する教育的配慮だけでなく、肥満の子が増え続けていることも大きな要因になっているのではないかと感じています。また、これも子どもの頃よく遊んだ「花いちもんめ」は、花を娘に、重さの「匁」を通貨の単位「文目」に掛け合わせて、娘を遊女として人身売買するときの様子を唄っているという説が最近広く知られてきています。その真偽はともかく、「あの子が欲しい」で指名されると妙に嬉しくなり、逆に何度やっても指名されないとちょっと悲しい気分になったことを思い出します。この遊びも、子ども同士で自然に遊び伝えられることはなくなり、辛うじて絶滅を免れているといった状態です。

 宮沢賢治の童話『カイロ団長』には、とのさまがえるのカイロ団長に騙され脅されて、意に反して手下にさせられた三十疋<ぴき>のあまがえるが、石を一人につき九百貫づつ運んで来るよう命じられる場面があります。

 あまがへるはみなすきとおってまっ青になってしまひました。それはその筈です。一人九百貫の石なんて、人間でさへ出来るもんぢゃありません。ところがあまがへるの目方が何匁あるかと云ったら、 たかゞ八匁か九匁でせう。それが一日に一人で九百貫の石を運ぶなどはもうみんな考へただけでめまひを起してクゥウ、クゥウと鳴ってばたりばたり倒れてしまったことは全く無理もありません。

 あまがえるの目方が八匁(30g)しかないのに対して、九百貫といえば 3375kg ですから、大型四輪駆動車の重量をはるかに上回ります。この作品は、天から王様の声がして最後には仲良く暮らすというハッピーエンドで終わります。ものの本によると「労働と搾取を風刺した愉快な寓話」と解説されているようですが、「なんのことだか、わけのわからないところもあるでせうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。」(注文の多い料理店・序)と賢治自身が表現しているような、はっきりした結論や教訓のない寓話として、賢治独特の表現やリズム感を楽しみながら子どもたちに読み聞かせても良いかもしれません。

 時刻と方角。これは尺貫法とは関係ありませんが、日本人の生活や文化を理解するためには欠かせない知識であるにも関わらず苦手な分野なので、ここで復習しておきます。方角は十二支の順に北が子、南が午、『艮陵』の「艮(うしとら)」は丑と寅の間、すなわち東北で鬼門とされていることくらいまではわかりますが、しばらく前から感じている疑問は十和田湖の「子ノ口」のことです。休屋からみて子ノ口は感覚的には艮(東北)の方向で、どう考えても子(北)ではないなと感じていたのですが、再び地図を見直して、十和田湖を円として捉えその中心から見てみると、子ノ口は東あるいは東北東の方向に存在するのです。「子ノ口」という言葉そのものに何か特別の由来があるのかもしれませんが、今のところは手がかりが掴めないでいます。

 時刻の方にも同じように午前零時から十二支をあてはめる「辰刻法」が、江戸初期まで一般的に用いられていたようです。ただし、子の刻と言っても当時の人々は時計など持ち合わせていませんから、午前零時ちょうどではなく「およそ午後十一時から午前一時のあいだの時刻」という幅のあるもので、「草木も眠る丑三つ時」と言えば「丑の時(午前一時から三時まで)を四刻に分ちその第三に当る時。およそ今の午前二時から二時半」ということになります。

 ところが、これとは別に落語の「時そば」などに出てくる「八つ刻」とか「明け六つ」とか「暮れ六つ」といった時刻表現もあります。これは庶民の時刻の数え方で、日の出を「明け六つ」、日の入りを「暮れ六つ」として、正午頃と午前零時頃の「九つ」からほぼ二時間毎に「いっとき」ずつ減っていき、十時頃の「四つ」の次がまた九つになるという奇妙な数え方です。「いっとき」の長さは季節によってかなり変化し、同じ一日でも昼と夜とでは異なってくるので「不定時法」と称されますが、お日様やお月様と共に暮らしていた当時の人々にとってはむしろ合理的だったのかもしれません。

 季節によって変化するこの時刻を誰がどうやって計っていたのかも疑問の一つだったのですが、江戸時代には時を知らせるため官許の鐘撞堂があり、時刻毎に鐘をついて知らせていたのだそうです。その鐘の数がそのまま刻限の名前になったということなのですが、九から始まって順に減っていく理由は、易学で九がおめでたい数であり、刻限の一から六に九を乗じ、その一の位を取って鐘の数としたからだということです。

 ちなみに、「三時のおやつ」は「八つ」ですから三時ではなく二時頃ということになります。話を東海道五十三次に戻すと、「お江戸日本橋七つ立ち(中略)高輪夜明けて堤灯消す」と歌われたように、朝の四時頃(七つ)に日本橋を出発して歩いて二時間、最初の宿場である品川宿に着く頃には空が白けてきたといいます(明け六つ)。ただし、この『お江戸日本橋』という唄は、江戸時代からあった「はねだ節」に明治時代になってから歌詞をつけたものなのだそうです。

 時刻、方角、干支という一見するとお互いに関係のなさそうな三つを結ぶ鍵が「循環」であることは言うまでもありません。ここまでくると、本来なら「」に触れずに通り過ぎることはできないのですが、力不足にて今回は割愛させていただきます。

 何度も話が飛びましたが、こうやって見直してみると、尺貫法は日本人の生活感覚・身体感覚に根ざした優れた計量単位であり、これを廃れさせることは日本文化の衰退にも繋がりかねません。他国で通用しないからといって尺貫法を無理矢理封じ込めてグローバル・スタンダードだけを押し通そうとした昭和の通産官僚の浅薄な画一的思考(その頭脳が同時に高度経済成長を支え続けたことも事実ですが)に対して、メートル法の中に尺貫法を残しながら、お上が禁止しようが連綿と使い続けてきた日本人と日本文化の力強さをあらためて感じざるを得ません。

二、ヤード・ポンド法
三、メートル法とSI単位
四、日常診療で使われるけれども由来を知らない単位

 さて、お馴染みのメートル法とその最新の定義や計測法、日常の臨床医学で用いられるいくつかの単位などにも触れてみたいと思ったのですが、そこに辿り着くまでには、箱根八里にも匹敵する難関、ヤード・ポンド法の峠を越えなければいけません。しかし、今回は尺貫法で紙面を費やしてしまったため、さわりだけで失礼させていただきます。

 1インチ(inch)は2.54cm。 1フィート(feet)は12インチ(30.48cm)。1ヤード(yard)は3フィート(91.44cm)。1マイル(mile)は1760ヤード(約1609.344m)。ヤード・ポンド法を敬遠したい理由の一つは、十進法ではないところです。これらの漢字表記は順に吋、呎、碼、哩ですが、吋はともかく呎や碼を読める人はほとんどいないでしょう。哩はジュール・ヴェルヌの『海底二万哩』で馴染みがあったのですが、調べてみると邦題は『海底二万マイル』『海底二万リーグ』『海底二万リュー』はたまた『海底二万里』『海底二万海里』などというものもあり、混迷を極めています。

 海里(nautical mile; sea mile)は子午線の緯度一分に相当する距離で、一九二九年に1852mと制定されましたが、マイルとは似て非なるものです。まして、哩(マイル)と里とでは全くかけ離れているのですが、哩の字が使えなかったので代用したのでしょうか。リーグ(league)は古い単位で聞き慣れません。ここでは陸上で1リーグ=約3マイル(4828m)、海上で約3海里(5556m)とだけ触れておきます。では一体原題はどうなっているのでしょうか。ヴェルヌはフランス人ですからちょっと厄介なのですが、原題は "Vingt Mille Lieues Sous Les Mers"(直訳すると海底二万リュー)。これが英訳されて "20,000 Leagues Under the Sea" となり、一九一六年の米映画の邦題『海底六万哩』はちゃんと計算を合わせています。その他に、直訳の『海底二万リュー』と近似的な『海底二万里』の三つは許容範囲内ですが、マイルと海里は原作のおよそ三分の一しか旅をしないことになり疑問が残ります。リューとリーグの違いなどもあるのですが、煩雑なのでここでは省略します。リーグも里と同じように、一時間の歩行距離を表す単位とされています。

 インチは男性の親指の幅から決まったと言われています。臨床医学で腹部の触診所見を「横指」で表記する場合がありますが、こちらは感覚として2cm位でしょうか。自分の指で確かめてみたところ、親指は2.3cm、第二〜四指は平均で1.8cmでした。一寸も同じく親指の幅から、一尺は肘から手首までの長さ(あるいは尺骨の長さ)から決まったとされています。つまり、肘から手首までの長さは、親指の幅のおよそ十倍ということになりますが、これはご自分でお確かめ下さい。また、フィートは文字通り足の長さ(foot)に由来するものですが、日本人としては足の大きい私でも、流石に30cmものデカ足ではありません。一説によるとある王様の足からとったのだそうです。ヤードも歩幅に由来するとされています。私はゴルフをしないのでわからないのですが、ゴルフの上達を目指す人は一歩1ヤードで歩けるように訓練するのだとか。これとは別に、八百年前のイギリス王ヘンリー一世の「鼻の頭から指先までの長さ」を1ヤードとしたという説もありますが、それではフィートとの整合性について疑問が残ります(この王がデカ足フィートの張本人だったかどうかはわかりません)。1マイルは千歩からきているというのですが、一歩1.6mでは全然合いません。これは何でも、ローマ人は二歩で一歩と数えたからだそうで、確かに実際に歩いてみればこの方が数えやすいようです。

 デカ足と言えば、更に余談になりますが、平成十一年に亡くなったジャイアント馬場の足は、実は33.8cmだったそうです。文尺は足袋用の尺で、一文銭(曲尺八分幅)十枚幅で一尺(約24.24cm)としたので、33.8cmは約十四文という計算になり、十六文には届かなかったことになります。(十六文=38.4cm)

 話をヤード・ポンド法に戻すと、コンピュータのモニタやフロッピーディスクをはじめとする米国製品は輸出されるものも含めて未だにインチが使用されているのはご存じの通りです。大リーグ中継でお馴染みになってきた MPH (miles per hour) も、私たちには直感的に理解できません(1.6倍すればいいので、90 MPH=時速145キロ、100 MPH=161キロの二つを覚えておくと役に立ちそうです)。一九九九年末現在、メートル法を採用していない国は世界中で米国、パナマ、ミャンマーの三カ国だけなのだそうです。米国は既に百年以上前にメートル条約に調印していますが、国内での準備不足を理由に未だにインチ・ポンドを度量衡標準としているのです。ここから先は文化論めいてくるので避けたいのですが、尺貫法を禁止しつつもメートル法の中に活かし続けた日本と、ヤード・ポンド法に拘ってメートル法への移行が遅れた米英という構図をみると、イラク問題やBSE検査に限らず、自らの基準をグローバル・スタンダードと称して世界中に押しつける一方で、都合の悪いことについては世界標準に従おうとしないというこれらの国々の姿勢の一端を「単位」からも伺い知ることができるように思えてなりません。

 話の納まりがよくありませんが、今回はここまでにして、この続きは(もし書けたら)ウェブサイトに掲載することにいたします。なお、インターネット上にはこれらのややこしい単位変換を一覧表にした便利なサイトが多数存在します。一々リストアップしませんが、ご利用の際には Google などの検索エンジンでお探し下さい。

参考文献

  • 『知恵蔵 2003』
  • 『広辞苑 第四版』
  • 『大辞林 第二版』(goo 辞書
  • 『メタル・カラーの時代3』(山根一眞、1999)
  • その他、単位についての多数のウェブサイトを参考にし、その一部を引用させていただきました

※この文章は、東北大学医学部艮陵同窓会三八支部会報『艮陵』20号(2004年春発行)に掲載予定のものです。

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