しつけをめぐる諸問題
〜体罰,虐待,過保護,耐性の未発達,父性の欠如など〜
原題「エビデンスに基づいた育児 II. 各論 16. しつけ」(『小児内科』 Vol.33 No.10 2001-10 掲載)

くば小児科クリニック 久芳康朗

はじめに

 いじめ,学級崩壊,電車内など公共の場における若者のマナーの悪さ,少年犯罪や「キレる」子どもたちなど,子どものさまざまな問題が指摘されるたびに,家庭におけるしつけのあり方,特に乳幼児期のしつけの重要性があらためて見直されている.

 また,体罰や心理的虐待を「しつけ」であると親が正当化したために児童虐待を防ぎきれないでいる一部の現実もある.その一方で,一人の子どもを大事に育てたい,子育てを失敗してはいけないという圧迫感の中で,自ら抑制しきれずに行ってしまう体罰や過度の叱責を,虐待ではないかと考えて罪の意識に苛まれ悩む親も少なくない.

 従来より,この分野では教育者や心理学者などを中心とした識者の豊かな経験と観察に基づいたさまざまなアドバイスがなされてきておりいずれも傾聴に値するものと考えられるが、いわゆるコントロールスタディは倫理的な問題から手段として用いることはできない.また発達心理学の立場から育て方と性格や行動に関する研究は行われてきており,しつけの方法論,特に体罰についての論争も行われてきた.ここでは幼児期のしつけを中心にしていくつかの論点をあげて現状を検証してみるが,十分に実証されたエビデンスは少ない.

I. しつけの伝承と個別化,マニュアル化

 しつけとは「礼儀作法を身につけさせること,また,身についた礼儀作法」(広辞苑)であり,馴れている,身についているという意味の「仕付く」からきた言葉とされている.「躾」という文字は国字(日本でつくられた漢字)である.

 しつけは,広義には乳幼児期の食事や排泄のトレーニングからはじまり,社会的な規則からいわゆる礼儀作法にいたるまで,子育て全般にわたって親や養育者が子どもの外面的な行動のみならず内面の倫理的な成熟を促し,社会的自立にむけて指導していく継続的な営みであり,かつては自分が親から受けたしつけを範として子どもへのしつけを行い,その文化が世代を越えて受け継がれ地域社会で共有されてきたものと考えられる.

 一方で,しつけに対する考え方や方法は地域・国家や民族によって大きく異なり,時代の影響も色濃く受けているために,客観的な評価は非常に難しく自由度の最も大きい部分となっていた.

 しかし,現代の日本において世代間で育児文化が伝承されにくくなり若者世代が「個性化・自由化」する中で,しつけは各家庭の内部で個別化され互いに隔絶したものとなり,社会からしつけに関する暗黙の合意が失われ,親は手探りの状態の中で不安に駆られ,多様性とは相反する「即効性のある良いしつけ,良い育て方(マニュアル育児)」を求める風潮も顕著となってきた.

II. 正しいしつけとは何か,上手くしつけるとよい子に育つのか

 加藤は,現在でもいわゆる育児書は買っても読まずに自分の親から伝えられた育児法をそのまま使うという人が多く,ほとんどの場合それで失敗しないがまれに失敗すると大変恐ろしい結果を引き起こすことになり,子どもの凶悪犯はほとんどの場合育ち方に問題があると指摘し,最低限守るべき育児のガイドラインを作成することを提案している1).この考え方はマスコミや世間一般にも受け入れられているものと思われるが,失敗とはどの部分のどういった失敗なのか,同じ失敗をすれば子どもはみな悪く育つのかなどには触れられていない.

 従来より子育ての議論の中心には,遺伝的要因と環境要因,すなわち「生まれ」か「育ち」かという問題があった.このうち,乳幼児期の環境要因を重視したのがいわゆる「3歳児神話」,その中でも母親の役割を強調したのが「母性神話」であった.平成10年版厚生白書「少子化社会を考える」において「3歳児神話には少なくとも合理的な根拠は認められない」と記載されたことは社会的にも話題となり議論を呼んだ2)

 Harrisは,子どものパーソナリティの形成に及ぼす親の影響について検証する中で,従来の議論の前提となる部分について疑問を投げかけた.すなわち,育児スタイルには「よい」ものと「悪い」ものがあり,よい育児スタイルを実行している親の子どもは悪い育児スタイルの子どもよりもよい子に育つ.「よい」子とは明るく協力的で,適度に従順で無謀すぎず臆病すぎず,学業成績もよく友達も多い,そして正当な理由もなく人をたたいたりしない子どもである.「よい」育児スタイルの基本も,子どもには愛情をたっぷりと注ぎ,その子を十分に認めてあげ,体罰やけなすような発言は控え,一貫性のある態度でのぞむなどといったもので,誰もが認めるところであるが,これらははたして実証されているのか.

 それまでの種々の調査において,次のような相関関係が一貫して同じ傾向で認められていた.

 (1) 親が自分自身の生活をきちんと管理し,他人ともうまくやっていける家庭の子どもは,同じように自分の生活をきちんと管理し,他人ともうまくやっていける傾向にある.逆に親が自分自身の生活や家庭や人間関係に問題をかかえていれば,その子どもも同じような問題をかかえる傾向にある.

 (2) 愛情を注がれ大事に育てられた子どもは,いいかげんに育てられた子どもよりも自分自身の生活管理も人間関係もうまくやっていける.

 しかし,環境因子が子どもに影響を及ぼすということが正しいとしても,遺伝子の影響を考慮しないと何も証明できなくなる.すなわち,(1) は明朗で才気のある親の子どもは総じて明朗で才気のある子どもになるということを述べているに過ぎず,子どもの育ち方に親が遺伝子以外の影響を及ぼしていると言うことはできない.

 一方,親が子どもに及ぼす影響のみならず,子どもも親に影響を及ぼすことが知られており,これを間接遺伝子作用と呼んでいる.(2) は抱きしめられることの多い子はやさしい子になり,殴られることの多い子は難しい子になりやすいということだが,これを逆に読んで,やさしい子は抱きしめられるようになり,難しい子は殴られやすいと説明しても矛盾はない.これまでの研究手法では,これらの前後逆転する解釈を区別する術はなく,その因果関係をはっきりさせることはできない.よって(1) (2) はともに証明された事実とは言えないと述べている.

 さらにHarrisは,親は子どもの家庭外での行動に対して長期的影響力は持たず,遺伝子以外で重要なものは子どもの仲間集団であるとの結論を得て子育て神話を否定している3)

 この結論は誤解を受けやすいが,決して子育てにおける親の役割の重要性を否定するものではない.しかし,多くの人が暗黙の了解事項と考えていることをくつがえす重要な発表である.

 また,遺伝的要因以外に子どもに永続的な影響を及ぼす因子,ことに胎児期におけるアルコールや薬物,環境化学物質などの影響も指摘されており考慮に入れる必要がある.

III. 過保護や甘やかしが子どもの問題行動の原因か

 Illingworthは「しつけをしないことは子どもにとって有害であり,子どもを“甘やかす”ことになる.厳格にすると子どもは抑圧されるといったことを読むか聞くかした両親や,子ども自身のように自分がしつけを受けなかった無知な両親が子どもを甘やかす.その結果,甘やかされた情緒不安定な子どもができあがる」「しつけを行っておかないと,少年非行,事故誘発性,他の望ましくない行動へと導く重大な結果になりかねない」と述べている4)

 横山は,不登校,いじめ,非行,学級崩壊,キレる子どもたちなどの様々な問題行動は,学校ストレスなどの外部要因よりもむしろ子ども自身の耐性の未発達が重要な要因であるとしている.耐性とは「欲求が阻止されても,不適当な行動に訴えたりせず,それに耐えて適応していくことのできる心の能力」と定義されており,「心の免疫体」「心のブレーキ」「心の抵抗力」とも言い換えることができる.

 母親の養育行動と幼児の耐性との関係を調べた結果によると,耐性の低い子どもの母親は明らかに子どもの要求を受容する傾向が強くなっている.耐性が形成される確かな時期は明かではなく,幼児期の親の養育態度が耐性形成を左右していると推論している.

 耐性は教えて身につくものではなく,耐性を育てるためには,物を必要以上に与えないこと,困難や挫折に際して安易に保護せず見守ること,年齢相応に自分のことは自分でさせること,不当な要求はしりぞけ我慢させること,お手伝いをさせること,しかるべき時にはしかること,親が養育行動に一貫性を持つことなどをあげている.また,耐性の形成を阻害しているもう一つの原因として集団的な遊びの崩壊をあげており,親が遊びの意義を理解して無用の干渉を避け,環境を保障することも耐性を育てるために重要であるとしている5)

 この調査結果も環境要因と遺伝的要因を分離できてはおらず,子どもから親に与える影響(間接遺伝子作用)の大きさも推測されるため今後の検討課題が残されているが,親の過保護と耐性の未発達に主眼をおく考え方は広く受け入れられているように思われる.

IV. 体罰は虐待のはじまりか

 しつけにおける最大の問題は体罰をしつけの手段として用いるかどうかだが,1995年の調査では,アメリカの家庭において3歳児の94%は何らかのかたちで体罰を受けており,12歳でも約半数が体罰を受けている6)

 日本小児保健協会が2000年に全国の1歳から7歳未満の幼児の保護者を対象に行った調査によると,「子どもを虐待しているのではないか」と思う母親は18%に上り,うち80%が「感情的な言葉」,49%が「たたくなどの暴力」と答えたほか,「しつけのし過ぎ」(17%)「食事制限や放置」(0.4%)なども挙げられており,過度のしつけや体罰と虐待の境界で悩む親の姿がみてとれる.

 体罰の効果についてはこれまでも論争となってきた.Larzelereは,限定された条件下で体罰は効果的であるという事を示している.効果的な体罰の条件として,2歳から6歳の子どもに対して,叩くのが虐待的ではない場合で,「タイムアウト」や「特権の剥奪」などの軽いしつけ法の補足として行なわれ,愛情のある親からの体罰であることをあげている。

 効果的な体罰とそうでない体罰あるいは虐待との境界について、あまりにも過剰すぎないこと,叩く時は感情を抑えて怒らない,きちんとした理由の説明と共に行なわれること,公の前ではなく他人のいない場所で行なうこと,何度も警告をくり返すのではなく一度警告した後に叩く,状況に応じて柔軟に対応し,それが無意味だとわかった時には他の方法を取ることなどがあげられているが7),必ずしも明確とは言えない.

 体罰は続けることによって効果が減弱して体罰の度合いがエスカレートすることが知られており,上記のような条件が個々の家庭において守られる保証はどこにもなく,体罰を受けている子どもや虐待との境界で悩む親に対する解決策とはなり得ない.

 Strausによると,体罰はいかなる状況下でも行なわれるべきではなく,他のしつけの方法よりも効果的ではないばかりでなく,副作用として頻繁に体罰を受けた子どもは攻撃的な性格になる確率が高くなり,認知力の発達を妨げたり良心の発達に支障を与える可能性が高くなり,非行少年や成人してからは犯罪者となる可能性が高くなるといった深刻な害を及ぼすことが明らかになってきている6)

 ただし,ここでも体罰が子どもの問題行動の原因なのか,子どもの問題行動の増加が体罰の原因なのかが分離できていないという問題は残る.

 スウェーデンでは,1979年に体罰が法律で禁止されて以来,体罰をしつけの手段としては考慮しないという社会的合意が確立されてきている.現在までに体罰を法律で禁止しているのは,スウェーデン,フィンランド,ノルウェー,オーストラリア,キプロス,デンマーク,ラトビア,クロアチア,ドイツ,イスラエルの計10か国にのぼる.

 American Academy of Pediatrics (AAP) はそれまでの調査をもとに,効果的なしつけに関するガイダンスを1998年に発表している.それによると,しつけのシステムには,1)ポジティブで支援的な親子関係を構築すること,2)望ましい行動を認めて支援していくための戦略,3)望ましくないふるまいを減らしたり止めさせたりするための方法の3つの重要な要素があり,それぞれが適切に機能することが効果的なしつけのために必要であるとしている.そして,体罰の効果には限度がある上により強い悪影響を生じる場合があるので,他の手段でしつけを行うことができるよう親に対して援助していくことを提言している.しかし,体罰をしつけの手段として用いる親は自らがそのようにして育てられた場合が多く,小児科医自身にも同様が傾向が認められるためその方法を変えさせていくのは時間がかかるが,親と小児科医のゴールであるべきと記載されている8)

V. 良いしかり方,悪いしかり方とは

 この問いに対する答えはかなり似通っており論点は少ない.すなわち,良いしかり方とは,常に一貫性があり,親は感情的にならず,した行為をしかり,子どもの人格を傷つけず,子どもの気持ちをくみとり,なぜしかられたのか理由を説明するなどである.実際には,しかるだけでなく励まし,良いことをしたときにはほめることが重要であるが,そのほめ方も同様で,すぐに子どもに伝えてほめる,ポジティブな言葉がけを行う,子どもが興味を持っていることや好奇心を伸ばす,結果ではなくプロセスをほめる,達成感をあたえるなどがあげられている9)

 AAPによると,しつけが効果的であるためには,子どもが愛されていて安全だと感じられる親子関係の中で行われることが必要であり,そのような関係において,親に喜んでもらえることが子どもにとって最も重要であるため,親の賛同や反対が他のどんな手段よりも効果的である.親の反応が安定していると,子どもは自己の価値観を伸ばすこができ,そのような良い関係の中で一貫したしつけが行われれば,罰などの対応をする必要性は減ってくると述べられている8).

VI. しつけは誰が,いつ行うのか

 最近の学校における「教育の崩壊」議論の中で,家庭のしつけ力が低下して学校に頼っているとの指摘がなされ,家庭におけるしつけの見直しが緊急の課題となっている.

 幼児期のしつけにおいて両親が主要な役割を果たすことに異論はないが,文化の違いにより両親以外の肉親や部族内の特別な人が育てるような社会も存在することを忘れてはいけない.父親と母親は互いに補い合いながら均等に役割を果たすことが求められているが,ある調査によると,しつけは「夫婦半々」または「主に父親」がやると答えた回答が半数を越えている一方,6か国の国際比較調査では父親が平日に子どもと一緒に過ごす時間は日本が一番短く,理想と現実との間にギャップがみられる2)

 さらに,時間の長短だけでなく本来の意味でのしつけにおける「父親不在」あるいは「父性の欠如」が問題となっている.林は父性の条件として「まとめあげる力,理念・文化の継承,全体的・客観的視点を持つこと,指導力,愛」の五つをあげている.そして,不登校やいじめの問題を中心に現代社会における母性一辺倒のしつけと父性の欠如について論じる中で,その原因として祖父の世代における敗戦のもたらした精神的な外傷の大きさにさかのぼり,その影響が父である団塊の世代に父性の欠如をもたらし,孫の世代にまで及んできているという推論を述べている10)

 このような世代論や世代を越えた連鎖については,比較対照が存在しないため時代や国を越えた普遍性はなく検証は困難だが,説得力があり受け入れられやすい.しかし,一面的な解釈から権威主義的なしつけの復古傾向につながりかねず注意が必要である.また,父性の欠如はそれに伴う「母性の過剰」とセットで語られることが多いが,父性は父親にだけあるものではなく,離婚などで父親がいない場合には母親が母性と父性の両方を担当することもあり,母性・父性の問題を男女の役割の問題と一緒に論じると混乱をまねきかねない.

 現代日本における父性の欠如の問題は,結論が得られていないが避けて通れない問題となっている.地域社会の再構築や父親の家庭や地域への参画も取り組みがはじまったばかりでその評価はまだ確立していない.

 父性の欠如とならんで,少年犯罪の背景には「母性剥奪」があるという指摘もある.かつての子育ては十分な母性のめぐみを与えた台木に父性中心の文化を接ぎ木する形だったのが,赤ちゃんの時に母親からのスキンシップが不足した母性剥奪という台木に父性不在が接ぎ木されているのが最近の犯罪者の傾向だという解釈である1).これも一歩間違えると母性神話の復活につながりかねず,個別のケースを一般化して議論する際には論拠を明らかにしていく必要性を感じる.

 しつけの開始年齢については特別の議論はなく,AAPによると,乳児期は受容的に親子のリズムを合わせるようにして赤ちゃんの要求に応えながら毎日のルーチンを確立することを主眼とし,動き回れるようになった時期(toddler)には安全のための予防的な制限や配慮が中心となる.成長して行動範囲がより広がると,しつけの戦略の必要性が高まる.入学前の幼児はルールを理解し,それに従って行動するようになる.学童期にはルールは内面化して責任や自制の感覚が増加し,それらは思春期への移行期に顕著となる.親はそれに応じてしつけのアプローチを変えていく必要があると述べられている8)

VII. 今後の課題と小児科医がなすべきこと

 これまでのところ,この分野で一般の小児科医が果たしてきた役割は大きいとは言えない.小児科医に求められている能力や利点は,乳児期から思春期まで長期にわたって,主に身体の面において,ときに心の問題に関して子どもと親の双方に関わり合うことができる点と考えられる.小児科医が行うべき活動の目的としては,体罰や虐待の防止を主眼としつつ,現状を把握しながらより良い親子関係の構築を支援し社会への啓蒙を行っていくことが考えられる.

 具体的には,
 1) 育児・しつけのあり方に関する大規模かつ長期的な調査に参加する.
 2) 子どもの性格や行動,少年犯罪などに対する遺伝的因子や器質的因子,化学物質等の影響について調査研究し,その上で環境因子の位置づけや役割を再評価し,誤解のないかたちで社会に伝える.
 3) 健診や育児指導などの機会を利用して,体罰を伴わないしかり方・しつけ方についての知識を親に伝え必要な援助を行う.体罰を禁止するだけでは解決策とはなり得ない.
 4) 児童虐待の早期発見にとどまらず,「育てにくい子」の親の相談者となり,必要な援助を行うことによって悪循環に陥るのを未然に防ぐ.
 5) 偏見や先入観に基づいた推論や報道などに対して,公正な立場に立って発言していく.
といったことが求められているのではないか.

 現実には一般小児科医が各家庭に行う支援介入活動には限界があり他分野の専門家との連携が必要であるが,従来から進められてきた子育て支援や虐待予防にむけた取り組みの中に含めて考えるべきものであろう.その際には,体罰を伴わないしかり方などの方法論を伝えることも大切だが,父親と母親の育児に対する根本的な考え方に正面から向き合う覚悟が必要となってくるものと思われる.

おわりに

 過保護や過干渉と体罰や虐待という一見すると相反する事象を同時に論じる必要があるところにこの問題の難しさを感じる.また,育児に関する長期間にわたる世代を越えた比較調査研究が必要であるとしても,その結果の解釈は非常に難しく,現状に対する即効的な解決策とはなり得ない.

 本文で述べたように,しつけの成功や失敗とは何か,それは誰がどの時点で判断するのか,上手く育てるとよい子に育つのか,最低限守らなくてはいけない育児マニュアルは必要なのか,必要ならば何を書けばいいのかなどの問いについて,体罰を伴わないしつけを支援すべきということ以外の明確な答えは見出せなかった.

 現状への認識とあるべきしつけに対する考え方の幅は予想以上に狭く,従来から行われている経験に基づくアドバイスの有効性も失われてはいないが,社会的な要請が高じて親に対する新たなプレッシャーとならないよう配慮が必要であり,実証的な視点からの検証はこれからも常に求められていくものと思われる.

文献

1) 加藤尚武:21世紀の子育て−二元論から三元論へ−.小児科 42:27-32,2001

2) 厚生省:平成10年版厚生白書,ぎょうせい,東京,pp 82-107,1998

3) Harris JR:子育ての大誤解(The Nurture Assumption),早川書房,東京,pp 32-78,2000

4) Illingworth RS:ノーマルチャイルド(The Normal Child),メディカル・サイエンス・インターナショナル,東京,pp 213-221,1994

5) 横山正幸:ブレーキのきかない子ども達−今,あらためて耐性の意義を考える−.外来小児科 1:134-139,1998

6) Straus MA, Stewart JH:Corporeal Punishment by American Parents: National Data on Prevalence, Choronicity, Severity, and Duration, in Relation to Child and Family Characteristics. Clin Child Fam Psychol Rev 2:55-70, 1999

7) Larzelere RE:Should the use of corporal punishment by parents be considered child abuse? Debating Children's Lives: Current Controversies on Children and Adolescents, edited by Mason MA and Gambrill E. Sage Publications, Thousand Oaks, pp 204-209, 1994

8) American Academy of Pediatrics:Guidance for Effective Discipline. Pediatrics 101:723-728, 1998

9) 前川喜平:ほめ方・しかり方.心と体の健診ガイド−幼児編−,日本小児医事出版社,東京,pp 246-249,2000

10) 林道義:父性の復権,中央公論新社,東京,pp 165-191,1996

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