■ 日の丸・君が代法案と子どもの心

 この問題は奥が深いので私の力では論じきれませんが、突き詰めていくと戦後日本が戦争についてどのように総括してきたかという問題に行き当たり、そして、それは個人的なレベルのみならず日本人全体としての精神的な在り方、メンタリティの問題とも結びついているように思われます。

 個人的な意見としては、戦前の日の丸のイメージをもう一度総括した上で日の丸は国旗として認め、国歌としては君が代は問題が大きいので別に制定した方が良いと考えていました。新聞の投書欄にも新しい国歌について様々な候補が挙げられていましたが、全く新しい歌を制定するよりも、すでに広く親しまれている歌の中で、やや抒情的に過ぎるきらいはありますが「ふるさと」が適当ではないかと感じていました。オリンピックやサッカー、相撲、学校の式典などで「ふるさと」が流れる光景を想像しても、日本人としてあまり違和感はありません。「ふるさと」の斉唱は試合の前にはそぐわないかもしれませんが、その演奏は必ずしも静かに流れるイメージでなくとも、アレンジ次第では聞き応えのある世界に通用する国歌となり得たと思います。

 しかし、昨年の国会で急遽国旗・国歌が制定された経緯をみると、過去を総括して新しい時代に進んでいこうという希望に満ちた選択ではなく、この問題について国民の誰からも委託されていない自自公という砂上の楼閣で取り引きされたいわば幻の決着であり、まさかこのような大きな問題があれほど簡単に決着がついてしまうとは思わなかった人が多いのではないでしょうか。

 この法制化に伴い、学校では日の丸・君が代が歴史的に果たしてきた役割やそれによって「心の痛み」を感じる人たちの存在を教えることなく、子どもたちに国旗・国歌を敬う教育が導入されようとしています。これは最近の子どもたちが抱える様々な問題に対して「心の教育」が唱えられていることに明らかに反するものではないかと危惧します。

 今からでも遅くはないので最初から議論をやり直して国民投票で信を問い、どこの国の人にも、あるいは国内の人々にもきちんと納得して受け入れられ、真の意味での愛国心を引き立たせることができる、将来を担う子どもたちにふさわしい国旗・国歌を持ちたいと思います。

※この原稿は「艮陵」(東北大学医学部艮陵同窓会三八支部会報)のアンケートに答えて投稿したものです。


特別付録 くば小児科ホームページ