「母乳とダイオキシン」 BeFM健康相談 1999年9月6日(月)放送(8月25日収録)

くば小児科クリニック 久芳康朗


●質問

 初産,3か月の男児で,妊娠中から母乳で育てようと思い,産婦人科でも母乳栄養を勧められ,現在完全母乳哺育です.しかし最近のニュースで,母乳にはダイオキシンが高濃度に含まれており,赤ちゃんの摂取量は耐容量の20数倍も高いと聞き不安になっております.3か月頃から人工乳に切り替えていった方が良いという話も聞きますが,このまま母乳を続けても大丈夫でしょうか.


●Q&A

Q1.まず最初に,ダイオキシンとはどういったもので,どのようにして体に取り込まれるのでしょうか.

 ダイオキシン問題が社会の大きな関心事になっていますが,母乳の中にもダイオキシンが高い濃度で含まれているということがわかり,その恐怖がマスコミによって繰り返し叫ばれ,お母さん方の間に疑問と不安が広がっています.その結果として,母乳育児を放棄する母親さえみられているのが現状です.

 ご質問にお答えするために,まずダイオキシンに関するいくつかの基本的な事柄を確認しておきたいと思います.

 ダイオキシンはベトナム戦争の枯れ葉剤の中に含まれていたことで有名ですが,当時は一般の農薬の中にも含まれ,1970年代に発売中止になるまで大量に使われていました.現在は,一般および産業廃棄物の焼却が主な発生源で,その他にも金属の精錬や紙の塩素漂白工程など様々なところで発生しています.

 ダイオキシンと一口に言っていますが,ダイオキシン類というのが正しく,210種類ものよく似た塩素化合物の総称で,最近ではこれにポリ塩化ビフェニール(PCB)の中でも毒性の強いコプラナーPCBという物質もダイオキシン類に含めて扱うことになっています.その中でも最も毒性が強い種類に換算して,TEQ(テック)という単位が用いられています.

 ダイオキシンの摂取経路は,その9割以上が食べ物からで,その中でも7〜9割が魚介類,肉,乳製品,卵に由来していると言われています.

 ダイオキシンは水に溶けませんが,脂肪には良く溶けて,体内の脂肪中に蓄積されます.一部は肝臓から排泄されますが,腸から再び吸収されるので,一度体の中に入ったダイオキシンが半分の量に減るのに7年もかかると言われています.ただし,母乳には100ccあたり3〜3.5gもの脂肪が含まれていますので,母体のダイオキシンは母乳中に排泄されてそれを赤ちゃんが摂取するという望まざる結果になるわけです.このことから,初産の方が経産よりも高くなるということもおわかりいただけると思います.

Q2.母乳にはどの程度のダイオキシンが含まれているのでしょうか.

 厚生省の最新の調査(平成10年)によると,コプラナーPCBを含めた母乳中のダイオキシン類の濃度は,脂肪1g当たり22.2pg-TEQ(1pgは1兆分の1g)で,この濃度から計算すると,乳児が平均して母乳を体重1キロ当たり120cc飲むとすると,1日当たりのダイオキシン類摂取量は体重1キロ当たり103.6pgとなり,今年新たに引き下げられた耐容1日摂取量:4pgの25倍以上という結果になります.25倍というと驚かれると思いますが,この点については,あとでもう一度解説します.

 ただし,大阪府における凍結母乳の調査では,1974年をピークに母乳のダイオキシン類濃度は半分以下に減っていることがわかっています.この低下は,ダイオキシンを含んでいた農薬の製造・販売中止によるものと考えられています.更に,今回発表されたデータでも,平成10年度までこの減少傾向は続いていることが確かめられています.

 つまり,これはちょっと言いにくいことなのですが,今のお母さん方が赤ちゃんだった頃の方が汚染はひどかったというわけです.

Q3.日本人の母乳は世界一ダイオキシン濃度が高いという話を聞きましたが.

 1993年に,日本の母親の母乳中に含まれるダイオキシン含量がヨーロッパ諸国に比べて10〜200倍も高いというニュースが報じられ,それ以来日本人の母乳が世界一汚染されているというのが定説になっているようですが,実際にはそうではありません.

 1980年代後半の各国で調査・比較したデータによると,ヨーロッパ先進工業国で28〜40(TEQ pg−ここにはコプラナーPCBは含まれていません),日本は20〜28,北ヨーロッパで15〜23,東ヨーロッパで9〜12,発展途上国で5〜6という結果となっており,ドイツなどのヨーロッパ先進工業国より低めで,他の先進国よりは高めになっています.その後も低下傾向が続いているのは今お話ししたとおりです.

 ただし,ダイオキシンの年間排出量でみると,日本全体では1998年に約2900gで,前の年の約6300gに比べて半分以下に減っていますが,それでもヨーロッパ各国の数倍から数十倍となっており,その9割以上は一般および産業廃棄物の焼却から生じています.国は2002年までに1997年の9割を削減するという目標を定めていますが,今後より徹底的なダイオキシンの排出規制対策が望まれるところです.
 

Q4.ダイオキシンが赤ちゃんの身体にはいるとどのような影響があるのでしょうか.アレルギーや免疫系に作用するという話も聞きますが.

 アレルギーに関して,母乳哺育の子にアトピー性皮膚炎が多いという説が広く報道されましたが,これは検証の仕方に問題があることがわかり,現在では母乳とアトピーの間に明らかな因果関係を認めたという報告はありません.また,アトピー性皮膚炎は増加の一途をたどっているのに対し,母乳中のダイオキシン濃度はこの25年間減り続けており,ダイオキシンがアトピーの主な原因となっているとは考えられません.むしろ,最近の海外の研究では完全母乳がアレルギーの発症を防ぐこともわかってきています.

 また,母乳を長く飲むことでアトピーが増えているとおっしゃる方もいますが,アトピーの子が母乳を長く飲むのは,人工乳や牛乳を飲めないアレルギー児に母乳が必要だからです.例えば,高血圧の人が塩分を控えているのをみて,「塩分を控えると高血圧になる」と言っているようなもので,原因と結果を混同した議論と言えます.

Q5.母乳は人工栄養と比べてどのような違いがあるのでしょうか.

 時間の関係上詳しくは話せませんが,栄養の面でも感染症を防ぐといった免疫の面でも母乳のメリットは大きく,また,母乳の成分はまだ十分に解明されているとは言えませんので,人工乳はあくまでやむを得ない場合の代替品であり,母乳と並べてどちらか自由に選ぶといった性質のものではありません.他に代わりがある食べ物と同じように考えることはできないわけです.

 何よりも,人間は哺乳類であり,お母さんが赤ちゃんを抱きしめておっぱいを含ませるその安心感と満足感の中で,母と子の結びつきが強まり,赤ちゃんもお母さんも成長していきます.お母さんも知らず知らずのうちに母性の高まりを自覚し,心の底から我が子を愛し,母乳育児を楽しむ事が出来るようになるのです.これを,単に栄養や免疫といった面でのメリットだけで論ずることはできません.

 ところが,ドイツでは1984年から10年間,母乳の汚染度によって生後4か月以降は母乳を中止するように指導していたところ,断乳による精神的動揺や不安,更に早期母乳栄養率の低下を来しました.1995年に母乳のダイオキシン濃度が半減したために,それまでの指導を全面的に中止したという経緯があります.現在のわが国における母乳のダイオキシン濃度は,危険なしとした時のドイツの値をやや下回っており,私たちはこの失敗の経験から学んで,これを繰り返すことは避けなければいけません.

Q6.結論として,この方の場合,母乳を続けていった方が良いのでしょうか.

 これまでお話ししたとおり,母乳にダイオキシンが高濃度に含まれているのは事実ですが,その濃度は年々低下しており,またその影響は全くないとは言い切れませんが,これまで明らかに証明されたものはなく,今回の発表をもとに新たに母乳を中止しなくてはいけないという根拠はないように思われます.また,心配しすぎることの方が赤ちゃんの発育に悪影響を及ぼすと思います.

 この点については,厚生省の研究班の主任であった東邦大学の多田先生も,次のように説明しています.

 『確かに、研究班の測定で明らかになった母乳からのダイオキシン類の摂取量は無視できる量ではありませんが、他の物質と異なることは、母乳には利点があることです。最近の調製粉乳は改善されているので、「人工栄養でも子どもは健やかに育つではないか」との主張もありますが、母乳が不足したり、母乳を与えられない場合に人工栄養にすることと、母乳哺育が可能なのに、母乳が汚染されているとの理由で子どもに母乳を与えることを禁止するのでは意味が全く異なります。人類が哺乳類であることを止めてしまわなければならない程、ダイオキシン汚染が進行しているのかということが問題なのです。
 これまでにダイオキシン類濃度の高い母乳を与えたことによる異常の報告がないこと、母乳の摂取期間には限りがあること、母乳から摂取して体内に蓄積したダイオキシン類は子どもの体重が増加するので濃度的には次第に薄まることなど、現在までに知られている所見からは母乳を中止すべきであるとする根拠はないと考えられます。』

 また,WHOでも「母乳中にはダイオキシン類及びPCBが含まれているが、母乳栄養には乳幼児の健康と発育に関する利点を示す明確な根拠があることから、母乳栄養を奨励し推進すべきである」と勧告しており,欧米各国でも母乳を禁止している国はありません.

 こういった見解について,無批判に全てを受け入れるわけではありませんが,実は母乳が汚染されているということは,胎内ですでにダイオキシンに暴露されていたということを意味しており,赤ちゃんへの影響という点では母乳よりも胎児期の方がより影響が強く,また,最近問題になっているダイオキシンの環境ホルモンとしての作用も,胎児期により強く影響すると考えられます.将来の生殖機能に対する影響なども懸念されていますが,これらの点についてはこれからの調査に委ねられます.先ほどお話ししたように,1970年代の母乳の方が汚染されていたという事実から,今の20代の人たちに対する影響がでていないかどうかということも類推されますが,科学的には何ら証明されていません.

 ここで一つ興味深いのは,ある調査で,汚染度の高い母乳を飲んでいた赤ちゃんは生後7か月の時点での心身の発達指数がやや低いという結果になっているのですが,母乳を飲んでいた期間で比較すると,母乳を4か月以上飲み続けた子は逆転して人工乳の子よりも指数が高くなっているのです.つまり,胎内からの悪影響が母乳の利点によりうち消されたという可能性が示唆されています.

 ところが,こういった具体的事実よりも,「母乳が危ない」というイメージだけが先行して広がったため,「それなら安心して母乳をあげられる環境をつくっていこう」という動きよりも,「そんなに危ないものはやめなくてはいけない」といった憶測だけが急速に広まりました.そんな中で,母乳育児は3か月までにしなさいという個人的な意見を述べる専門家があらわれ,それがマスコミを媒体として広がり,あたかも定説のように扱われるようになりました.

 今年の調査結果でも基準の「25倍」というところだけが強調されて,報道でも『厚生省は「安全性に問題はない」と話している』というように,カッコ付きで表現して,あたかも厚生省はこう言っているが必ずしも信用できませんよ,という言葉を滲ませており,しかもその後のフォローは全くなく,ただ不安を助長するだけの形になっています.さらに,いわゆる環境派という方たちや医療関係者の中にも早期に人工乳への切り替えを勧めるような人もいて,あたかも母乳を飲ませることで赤ちゃんに毒を与えているような罪の意識をお母さん方に与えている,という影響がでています.

 母乳の中に猛毒のダイオキシンが含まれていると思うと,その量がいくら微量であっても,心の底から母乳育児を楽しむ気には到底なれませんというお母さん方がいて,これを「ダイオキシンシンドローム」と呼んでいますが,あるいはダイオキシンの実害以上に影響があるのではないかと思われます.その意味でも,マスコミや環境派とよばれる方々,医療関係者や家族・周囲の方の言動にはより慎重な配慮が求められていると言えます.

Q7.最後に,毎日の生活の中で,母乳のダイオキシンを減らしていくためにはどういったことに気をつけたらいいでしょうか.

 まずは食べ物からの摂取を減らすようにします.近海の魚介類,ことに脂身の多いものは注意が必要です.遠洋でとれる魚や,イカのように脂肪のほとんどないものは汚染度は低いようです.肉類や乳製品などは,輸入物の方が危険性が高いようです.野菜などは,良く洗って皮をきちんと剥きいたり外側の葉を捨てたりすれば安心です.

 また,食物繊維や葉緑素は腸からのダイオキシンの排泄を促進することが知られています.米糠やゴボウ,あるいは報道で問題になったホウレンソウや煎茶なども,体の中のダイオキシンを減らす作用があるのです.

 そして,体内のダイオキシン排出の最も効率的な手段は,実は母乳なのです.それ故に問題になっているわけなのですが,1回の授乳のなかで始まりの頃よりも終わりの頃の方が母乳中の脂肪が高いということが知られていますので,おっぱいの豊富なお母さんの場合は,飲み終わったあとにしっかりと搾乳して捨てるといった工夫も一つの方法です.また,卒乳が早かったり,早期に仕事に復帰されたお母さんの場合,授乳をやめたあとも搾乳を続けるように努力することで体内の汚染物質を排出させることができます.

 それと同時に,ダイオキシンに関しては私たちは被害者であると共に加害者であるという点を常に忘れずに,塩素含有のプラスチック製品を「買わない」ゴミに「出さない」「燃やさない」という3ない作戦を広く多くの人に浸透させていくことが必要だと思われます.

 母乳で育てているお母さんが罪悪感を抱くことがないような形で,周囲の人もこの問題に対する理解を深め,安心して母乳で育てていけるような環境をつくっていくように努めなくてはいけない,ということを強調しておきたいと思います.

 今日お話しした内容は,専門的な用語や数字などを含んでいるため,理解しにくかったかもしれませんが,インターネットの私のホームページに,今回の内容と,母乳とダイオキシンに関するリンク集を掲載しておきましたので,可能であれば参考にして下さい.(註:このページのことです)


参考文献

関連リンク


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