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会議室:「くば小児科BBS」

埼玉県

発言者:くば
(Date: 1999年 5月 13日 木曜日 23:24:28)


私はこういうのは本当におそろしいことだと思うんだけど,そうでない方も多
のではないかと思います.

特報・オウム信者:新規転入届を受理保留に−−埼玉県川口市 


くば さんからのコメント
(1999年 5月 13日 木曜日 23:25:29)

つづき

オウム問題:移住信者に保険証交付せず 埼玉・川口市


えの さんからのコメント
(1999年 5月 14日 金曜日 11:20:42)

恐怖心からでた行為は最も人間存在の根源に
根ざしてますからね。市民側に立つと一種の
「革命」ですね。革命を起こす権利は常に市
民に保障されている。
今世界的なうねりとなっている犯罪被害者の
権利の見直しに通じる面がありますね。
従来の法体系では対処し得ない問題ですね。
その意味で市民革命ですね。


くば さんからのコメント
(1999年 5月 15日 土曜日 22:30:01)

たかが地方自治体の長が「住民の安全を守るため」に超法規的処置をとる.
そうなると,全く別の件でも「住民の安全を守るため」と称して同じような
事態が生じてくることは無いとは言えない.

ここまで言いたくはないのですが,魔女狩りの集団ヒステリーに近くないで
すか? 子どもが小学校へ通うのを阻止するとか,これが市民革命かなぁ
それとも,銃で身を守るアメリカ社会に近づくのでしょうか

現在のオウムの動向に詳しくないのですけれども,取り締まるんならまず第一
に選挙カーの騒音(^^),それからウヨク(八戸には街宣カーはいない),パチ
ンコ○○オープン!,迷惑メール,甲子園寄付依頼,etc...(^^;)


えの さんからのコメント
(1999年 5月 16日 日曜日 17:56:38)

大切なのは、川口市長が独断で動いたのではないということ。
まず、住民が決起し、それに押されて市長は動かざるを得なく
なった。これは少し前の茨木の場合と同じです。ここは、オウ
ムの被害が少ない地域の方々に決起した住民の行動の監視役と
なっていただいて、行き着くところまで行くしかないようです。
埼玉周辺では、川口市長は何をやっているという雰囲気は無い
です。秋葉原などで無神経に踊っている集団よりも、決起した
住民に理解を示しているのでしょう。憲法前文の精神を具現で
きない法に直面した時、市民が危険を負った上で行動するとい
う意味で、革命とでも言ってあげないと、住民の立つ瀬が無い
と私は考えます。でも、誰か止めてくれる人がいないとね。


くば さんからのコメント
(1999年 5月 16日 日曜日 21:35:15)

そうなんです.そのへんが難しいところで,自衛隊の存在基盤も同じようなと
ころから出てきてるわけですが..(違いましたっけ)

ちょっと話が繋がらないように思えるかもしれませんが,「当事者の論理」っ
てのは,一見正しいように思えるかもしれませんけれど(あるいは自分がその
立場だったらそうするかもしれないけれど),これをそのまま認めて普遍化す
るのは,かなり危険なんです.

別の話ですけれども,多胎妊娠の減胎手術というのがありますね.これを論ず
るときに,いわゆる「経済的理由」による中絶は認められているのに減胎が認
められないのはおかしいという意見がありますが,そういったのもその一つ.

コソボだってそうです.セルビアによる民族浄化に比べればNATOによる空
爆は正しい.正義の戦いである.

何もオウムを擁護しようとしているのではありませんが,全ての自治体が転入
者の犯罪歴や活動歴を調査して,自治体の長の判断で転入を認めるかどうか選
別するようになったら,どうなると思います?

とるべき手段は,そういったことではないように思えますが.


くば さんからのコメント
(1999年 5月 17日 月曜日 21:50:29)

今朝の毎日新聞に特集記事が載っていました.

誤解のないように申し添えておきますと,昨日書いた例の減胎手術,NATO
空爆については,私は賛成ではありませんが理解はしております(政府見解通
りですね,へへ).オウムの住民運動と一緒にするのは例えとしては適当でな
かったかもしれませんが,住民や役所の善意を疑うものではありません.しか
し,その善意の住民の中に,息子や娘がオウムに入信している家族がいても全
く不思議ではない.もうちょっと複眼的にものをみた方が良いように思う.

今日の特集の一部はWEBに載ったものの抹消されてしまったので,後日引用
してみることにします.文春の先週号は買いそびれたのですが,少し世の中の
動向に注意してみることにしましょう.

しかし,安売りのパソコンなんて,そんなに儲かるはずがないと思うのですが..
フリージアがオウム系なんですか(全国紙にも広告が出ていますけれど)?


Mar さんからのコメント
(1999年 5月 18日 火曜日 9:58:17)

温度差かな?やはり地方と首都圏では感じ方がかなり違うようですね。私の周りでは、かなり神経を使っている人を見かけます。(まぁ例の地下鉄使っていたらそうなるのも解る)
私の気持ちとしては犯罪者に人権無し!という人間なので、
なぜ破防法を使用させなかったの?誰が責任取るの?みたいな気持ちは大いにあります。(冤罪で無罪になってその後連続殺人を犯した人間の例もあるし:いわゆる人権派の無責任ぶりにはほとほと呆れる心境です)
市民に無責任な決定権を持たせれば間違いなく魔女狩りになるおそれは有るでしょうね。実際、アメリカの例も有ることですし、中世の魔女狩りなんて、市民(大衆:本来の意味は違うはずだが・・・)の暴走に他なりませんから・・・。
宗教信条は簡単に替わるわけなく、そう考えるならば、未だに容疑者として公判中の教祖を信じてやまない人たちは改心したとは全く思えないのが、一般人の考えではないでしょうかね。
人権派の人たちは自宅を貸し出す位で面倒を見ればいい。
対岸の火を見ながら、無責任にそれを煽ることは慎むべきだ。
少なくとも私の近隣にいたとしたら怖いと思うし、嘘をついたり、約束を守れない人たちの何を信じていればいいのか解らない。
解らないものは怖い。
そう考えるとオープンにすればいいのだ。
それで、きちんとした行動をすればいい。
正々堂々活動すればいいものの、それが解らないから、下手な憶測や、疑念を生み出しかねない。
川口市長の動きは否定しない。
私が住民の長であるのならば、間違いなくそう言う行動をするだろう。
ただし、責任や避難を受けることは覚悟しなくては成らない。
しかし、部外者の無責任な同情や、非難は結局ノイズでしかないのだ。危険予測をしきちんと手を打つというのは、震災対策と何ら代わりがないと思う。それが長の責任だと思う。


くば さんからのコメント
(1999年 5月 18日 火曜日 23:25:55)

少し整理しましょう.書きたいことは色々あるのですが,端折ります.

オウムが悪である.あるいは絶対的悪である.必ず次の犯罪を犯す.
オウムの組織の存在自体が悪である.構成員全員が社会復帰が許されない悪人
で,終生どこの自治体に住むこともまかりならぬ.
かどうかは,この際おいておきましょう.

あるいは,この件からオウムというコンセプトをすっかり抜いて考えてみると
良いでしょう.

今日の強制捜査のように,理由は何であれ法的根拠のあるものは構わないんです.
サリン事件直後のオウムに破防法を適用しなかったのに,現在のオウムに破防
法を適用しなくてはいけない根拠(殺人兵器をつくろうとしているとか社会の
転覆を企てているという徴候)があるのなら明確に報道すべきだと思いますが,
それはともかくとして,破防法を適用するのならそれも一つの手段でしょう.

川口市長の判断は,憲法の根幹にかかわる「由々しきこと」だと思います.
(かっこ内は毎日新聞にコメントしていた憲法学者の言葉から)
警察が権力を行使するのは構わないのですが,自治体の長が「住民の総意」の
もとに,法に基づかない権力を行使することには,もっと敏感でなければいけ
ないと思います.これを簡単に認めれば,自分で自分の首を絞
なりかねません.今度はあなたが社会から排除されるかもしれないのですよ.

「住民の総意」なるものは,良いときもあるがそうでないときもあり得る.
Marさんの仰るとおりです.フリーハンドを与えることはできません.
あるいは,与えられていないのです.
そのために,法というものがあるのですから.

私が本当に怖いのは,オウム憎けりゃこの際手段は問わないという大多数の日
本人の意識です.おそらく,戦前の社会と本質的に変わっていないのでしょう.
こういった書き込みをすること自体はばかられる.村八分にあう.

あるいは,北朝鮮に援助しても幹部の食料に消えるだけだから,ミサイルをや
めない限り,いくら北朝鮮の子ども達が死んでも援助は停止する.

解らないものは怖い.
そうです,家庭内暴力の子どもは親や外の世界と意志疎通がなく,怖い.
親でも怖い.
近くに住んでいて怖いのは,オウムだけではありません.ダムに小さな子ども
を投げ捨てるような人間も,あなたのそばに住んでいるかもしれません.
オウムの若者たちは,「普通の家庭」で育った,欠落した子ども達の末裔です.
もちろん,私も理解はできない.

しかし,私は自分が犯罪者になったかもしれないという意識が常にありますか
ら,犯罪者に人権がないなんて,とてもではないが言えません.かもしれない
ではなく,実際に中学生の時には万引きをしたこともあります.それ以上に警
察のお世話になるようなことはしていませんが(3歳の時に迷子でパトカーに
は乗ったが),今でもある種の欠落(オウム信者とは違う種類であることを祈
るが)を意識し続けているわけですから.

悪は自身のあるいは家庭や社会の中に自ずから存在し続けます.オウムを表面
的に摘発し組織を破壊し尽くしても,オウム的なものあるいはオウムを生み出
した社会は変わらず存在し続けるのですから,根本的な解決にはなりません
(実際問題としては,一息つけるのかもしれませんが).

犯罪あるいは社会的欺瞞行為には「正当な」対処をすべきだと思います.
結論はそれだけです.


Mar さんからのコメント
(1999年 5月 19日 水曜日 10:47:00)

オウムを除いてしまった場合で考えるならば、
川口市長の行動は恐ろしいものであることは否定できない。
私の場合、「泣いて馬謖を斬る」という感じの人間(周りから冷静と言われるが)なので、決まり事はきちんとしていただければ成らないと思うし、
現行の少年法やその他の刑罰は今以上に厳罰にするべきで、
人間の感情による判決の加減は一切認めない点数式刑罰にするべきであろうと思う人間です。
人間は誰しも犯罪を犯す。被害者が加害者に成ることだって有る。
だから、なおさら厳罰公正であるべきなのです。
自分の場合でもそうですし、もし息子が人様を殺めることになったばあいは、息子と心中するでしょう。
犯罪者に人権は無いというのは、その考えから基づくものであり、
罪を認め罰を受け、反省し初めて人権を得れるものであるという考えなのです。
そう言う人間なので、殺人集団に対して何の躊躇いもなく、
破防法を適応させるべきで有ると思っておりました。

悪は必ずあるでしょう。では正義と悪の区別は何か?
それは、法に照らされた時、はっきりすると思います。
厳正なる法の適用が大事であって、犯罪者の権利云々を述べるのは被害者を軽んじ、やった者勝ちの現在の風潮を生み出しているのではと考えるわけです。


くば さんからのコメント
(1999年 5月 19日 水曜日 13:38:26)

やや誤解を与える表現だったかもしれませんが,

>今度はあなたが社会から排除されるかもしれない
>ダムに小さな子どもを投げ捨てるような人間も,あなたのそばに住んでいるかも

この場合の「あなた」はもちろんMarさん個人ではなく,私を含めてこの文
を読んでくれている方すべてという意味での「あなた」でした.

もう一カ所訂正

>自分で自分の首を絞  →  自分で自分の首を絞めることに
>なりかねません.

また,ご指摘のように,オウムに対する見方がちょっと甘いのかもしれません.
この辺は,報道をチェックしていきたいとは思っています.

ただし,これまで伝えられた内容からすると,利益隠しや名義隠し,建築違反
などが主で,隠れ家をつくって食料を備蓄し,集団生活をして修行しながらハ
ルマゲドンに備えているだけのようにも見受けられます.その裏で何かしてい
ないかどうかは,公開してチェックすべきでしょう.

野中さんも破防法適用は困難と言ってますし,まずは現行法の枠組みで.

いずれにしても,問題はオウムではなく,その他のマイノリティの迫害に繋が
らないかどうか,という点ですね.


くば さんからのコメント
(1999年 5月 19日 水曜日 14:10:36)

少年法の改正の話も出ましたが,公判記録の公表など被害者の知る権利を拡げ
るという点では意味があるとは思いますが,犯罪の抑止力という意味では,年
齢を下げても殆ど効果はないでしょう.死刑制度も然り.かつて,荒れ狂う校
内暴力は校則を厳しくしても抑えることができなかったのと同じです.

神戸の少年A自身,少年法で保護されるという事を知らず,捕まれば吊し首に
なるものと思いこんでいたというのですから.

もう一つ,言い古された言葉ですが,人を一人殺せば殺人で重罪になるが,戦
争では多くの人間を殺した人が英雄になって勲章をもらえます.それを指示し
たクリントンやミロシェビッチは,罪の意識に苛まれることはないのでしょう
か.毎日夜はよく眠れているのでしょうか.
(つづく,かもしれないがとりあえずここまで)


くば さんからのコメント
(1999年 5月 19日 水曜日 22:10:43)

ちょっとお休みしましょう

オウム真理教:対象を特定する法規制は困難−−野中官房長官


Mar さんからのコメント
(1999年 5月 20日 木曜日 16:09:50)

刑罰を厳しくする事には私は賛成な人です。
特に死刑に関してももっと厳しく扱うべきであると思うのです。
少年法も同様です。公開裁判にするべきであろうし、
懲罰に関しても、未成年者であろうが、
成年と同様で有るべきです。
判断力云々を言う人権派がおりますが、
では所沢高校などの場合はどうするのか?と思いますね。
厳罰による抑止というのは私はあまりそれほど重要ではないと思っている。
ではなんのためかと問われれば、被害者への思いやりであろうと思う。
被害者が加害者へ本来報復をしたい。
それは人間の欲求にあると思います。
その場合、きちんと法に照らし合わせ、
社会的に制裁を与えるべきであると思うのです。
その制裁を受け終わるまでは、
人としての権利は二の次であっても良いはずです。
犯罪というのはそれぐらいの位置づけで社会を運営して行かなくては成らないと思います。
少なくともやったものがちと言う現在の状態を何とかして行かなくては成らないでしょうね。


くば さんからのコメント
(1999年 5月 24日 月曜日 18:35:29)

Marさんのような意見が最近多いことは承知しています.
一般でも議論されている問題なので,ちょっと端折らせてもらいますが,
つい先日こんな記事もありました.報道されたページを探そうとしたのですが
見つからなかったので参考資料としてここに掲載しておきます.

// 殺人 レイプ 幼児暴行  //
// 凶悪犯は一生ムショ暮らし //
// 米上院が厳罰法案を可決  //

 【ワシントン20日共同】米上院は19日,殺人,レイプ,幼児暴行
の三つの凶悪犯罪の受刑者は再犯率が高いとして,刑務所に一生閉じ
こめたままにすることを狙った厳罰法案を賛成81,反対17の圧倒的
多数で可決した.
 人権面で問題があることや刑務所不足のため,法案が今後下院を通
過し大統領の署名を経て実際に成立するかどうかは微妙だが,犯罪に
厳しい最近の米国民の意向を強く反映している.
 法案は「二度目の機会を与えない法」と呼ばれ,ある州の刑務所か
ら出所した人間が他州で再度,三つの罪の一つを犯したら,出所させ
た州が捜査費用や収監費用,被害者に対する賠償金を支払うという内
容だ.
 各州政府に財政面で「圧力」をかけ,凶悪犯を出所させないように
する狙いで,提案者は (1) 毎年一万四千件の殺人,レイプ,幼児暴行
が再犯で起きている (2) 元殺人犯は一般の受刑者に比べて殺人を再び
犯す率が五倍,レイプ犯は十倍−などと主張した.
 米国では性犯罪歴のある人物の実名,住所,顔写真を「自己防衛情
報」として住民に与える制度が全国で導入されるなど,犯罪者への厳
罰傾向が強まっている.
 今回の法案を作成し,上下両院で推進役となったサーモン下院議員
は犯人の更正について「市民を再犯の犠牲にしないことの方が緊急課
題だ」と述べている.


えの さんからのコメント
(1999年 5月 24日 月曜日 21:19:39)

こういうのもあります。

3 strikes law


かさいたくみ さんからのコメント
(1999年 5月 25日 火曜日 8:06:31)

>3 strikes law
神経集中ピキピキ・・・・・ドカン。
ああ、だめだ、翻訳ソフトがほしい・・・・。

これって「三振法」っていうんだっけ?
最近、窃盗で三回目で捕まって無期懲役になった人がいて、「現代版のド
フトエフスキーの世界だ!」などと騒がれてたような気がします。


くば さんからのコメント
(1999年 5月 26日 水曜日 15:56:04)

 オウム真理教 住民(自治体)反対運動の法的根拠
 厳罰主義 死刑制度 少年法(神戸の事件と関連して)
 被害者・加害者の人権 米国の現状

などが話題に上ってきました(スミマセン,3 strikes law 私もちゃんと読ん
でませんが,そういったものでしょうか,ということで...).
法律家でないので厳密な論議はできないのですが,「刑罰は被害者の報復した
いという感情を満足させるため」というご指摘には非常な違和感をおぼえまし
たので,ちょっとネット上でつまみ食いしてみたところ,法律上もそういった
側面があるのは正当なもののようですね.

ただし,あくまで全体のバランスの中で相応の処罰をというのが原則のはずで,
被害者の感情がメインになることはないのではないかと思います.

魂の救済ということを考えれば,どれほど残虐な手段によって処刑したとして
も,それで救われるということにはならないはずです.

もちろん,現実生活との折りあいをつけるために,相応の厳罰が決まって区切
りをつける必要はあるでしょう.

アメリカのある州では,被害者が電気椅子のボタンを押すという制度があると
いうことをTVでみたことがありますが,このようなバカげた制度が日本にも
導入されることがないよう祈ります.

結構おもしろいページを見つけました.匿名ですが(匿名じゃなきゃここまで
かけないでしょう),法律家にもこういうわかりやすい(というかちょっとア
ブナイ)人もいるんですね.まだ何ページかつまみ読みしただけですが,上記
の諸問題についてそれぞれ触れられており,頭の中がちょっと整理されてきた
ような気がします.

法律家ゴマのホームページ


えの さんからのコメント
(1999年 5月 26日 水曜日 19:33:37)

いわゆる「三振法」は一つのアイデアですね。
みんな終身刑になりますから、刑務所が一杯
になって、退場(シャバにでる)なんてこと
もあるのかな?
被害者の被害回復の義務を犯罪者に課すのが
人の道でしょう。しかし、回復不能だから犯
罪になるという現実もあります。となると復
讐(リベンジ)。あのダース・ベーダも復讐
に散った。
刑罰を復讐の代行と考えるかどうかは、定番
の命題でしょう。これも流行があるようで、
今は、復讐の側面を入れてもいいんじゃない
のという国民が増えている印象を私は持つ。
サリンで、もがき亡くなった、また今も後遺
症に苦しんでいる人たちが、憲法前文にある
精神に沿った生き方ができ、また扱いを受け
ているか?否。その意味で憲法前文は、最終
的に血で血を洗う闘争を否定していないので
はなかろうか?


くば さんからのコメント
(1999年 5月 28日 金曜日 20:51:57)

ちょっとあちこち眺めていたのと,マック不調(回復しました)にてサボって
ました.前にも書いたように,専門家でないので深入りは避けます.逃げてる
わけではないですよ(^^;).上手く表現できないのでリンクでご容赦下さい.

昨日もこんな判決がありました.死刑が当然というのが大多数の感情かも.

>「検察官は犯罪の被害者保護を強調するが、被害者保護の問題は立法や
>行政の措置にゆだねるのが適切」などとして無期懲役が相当と判断

逆恨み殺人判決:JT女性社員刺殺の男に無期懲役 東京地裁


くば さんからのコメント
(1999年 5月 28日 金曜日 21:02:13)

(下記ページより一部引用)

刑罰のひとつの起源が、侵害行為に対する人間の素朴な応報(復讐)感情から
発していることについても疑いがないだろう。「目には目を歯には歯を」とい
う、ハムラビ法典などに見られる「同害報復」(タリオ)の原理は、人間の素
朴な本能のあらわれと思われる。この復讐の根底にあるものも、精霊信仰とい
える。復讐を求めるのは死者の霊魂であって、復讐が遂げられることによって
はじめて死者の霊がなぐさめられる。犯罪者が処刑されずに放置されると、被
害者の霊が悪霊となって生存者にさまざまな災いをもたらす。

(中略)

しかし、その後、刑罰権が国家の独占とされ、私的な復讐が禁じられるにいたっ
て、処刑のもつ意味にも大きな変化が見られるようになる。中世は、国王や領
主、教会がその政治的宗教的機構を維持するために刑罰をもっとも有力な道具
として多用した時代である。そもそも、権力の中でも中心となるものは裁判権
である。

刑罰思想の変遷  園田 寿


くば さんからのコメント
(1999年 5月 28日 金曜日 21:09:47)

そういう意味では,つい最近まで−あるいは国によっては現在でも−刑罰(殊
に死刑)は権力維持のために使われてきたということを忘れてはいけないです
ね.近代民主国家を維持するのか,近世絶対主義国家に逆行するのか,とまで
書くと大げさですが.


くば さんからのコメント
(1999年 5月 28日 金曜日 21:14:32)

(神戸の事件から間もない頃に書かれた文章から,再び一部引用です.)

そうすると、残るは社会による報復の是非ということになります。
この点になると、もはやそれぞれの価値観によとしか言いようがないと思いま
すが、少なくとも、刑罰は犯人に対する国家の合理的・理性的な社会倫理的非
難であるという本質を忘れてはならないでしょう。 
憎しみや一時の激情に基づく報復は、法律や権力の衣を着たリンチでしかない
と言うべきです。 

ぐんまPTA広報 平成9年9月1日 父親と弁護士の狭間で..(前橋・男性)


くば さんからのコメント
(1999年 5月 28日 金曜日 21:23:29)

一番最初の話題に戻ると,教祖の子どもが小学校に登校するのを地域の大人た
ちが封鎖して阻止するということは,法律や権力の衣すら着ないリンチとも言
えなくもない.

ただし,先日紹介した「法律家ゴマのホームページ」にもこの件について触れ
られているように, 個々のオウム信者あるいはその家族と,集団としてのオ
ウムは分けて考えていかなくてはいけないのでしょう.

オウム真理教について


くば さんからのコメント
(1999年 5月 28日 金曜日 21:27:20)

 しかし、現実の物語は処刑では終わらないのだ。「正義の回復」を理由に処
刑を支持した人たちが去ったあと、遺族には何が残るだろうか。シスターが記
した彼らの悲しみは、決して死刑によって癒される種類のものではない。彼女
の綱渡りのような活動を通して語られるメッセージは、私たちが本当の癒しへ
と眼差しをむけるべきだと教えている。
 あくまで他人でしかない私たちは、被害者感情を理由に死刑を語ることに対
し、もうすこし慎みを持つべきだと思う。もし、愛する者を奪われた人たちの
痛みや人生を、破滅からすくい上げる手だてが必要だと考えることができるな
ら、私たちがこの社会において死刑以外に見出すべき、もっと別の道があるに
違いない。

(下記ページからの引用です.)

アメリカの死刑制度と映画『デッドマン・ウォーキング』