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会議室:「くば小児科BBS」

八戸で脳死移植ドナーのプライバシーは守られるか

発言者:くば
(Date: 1999年 3月 7日 日曜日 19:25:48)


八戸でも基幹病院が臓器提供病院に指定されて準備が進められているようです
が,今回の一連の顛末をみていると,八戸でドナーカードを持った脳死患者が
発生したとしても,患者のプライバシーが守られることは非常の難しいのでは
ないかと感じました.

なぜって,,,

八戸の人は「不文律」としてどんな市井の市民であれ地方紙に死亡広告を載せ
なくてはいけない.なぜなら,それがあるがためにみんなその新聞を買ってい
るのだから.

だから,死亡広告を載せれば誰がドナーかは一目瞭然(^^;).

では載せなければいいのではないかと思うでしょうが,掲載しなければ,あそ
この家の誰々さんは何日に亡くなったのに死亡広告が載らなかった,だからあ
の人がドナーだと近所の人にはすぐにわかってしまう.

まあ,その場合は表だってそれ以上広がることはないでしょうが,この狭い社
会では口コミである程度広がる.別に不名誉なことではないから構わないかも
しれませんが,今回のような騒ぎになったら,家族にとっては迷惑なことでし
ょう.

これを言い出すと,市民が毎日亡くなることが経営の支えである新聞と,それ
が当たり前と思って健全なジャーナリズムを育ててこなかった地域社会の体質
に行き当たるのですが,今更そんなことは言ってられない(←この辺はオフレ
コにして関係者に見せないように ^^;).

まあ,そのあたりも含めて準備を進めて下さい,関係者の方々ご苦労様です.

ここまでは半分冗談として,今回の脳死判定までの時間の短さ(そのあげく判
定でいったん平坦であった脳波が出現したという事態),無呼吸テストを何回
も繰り返したこと,脳死判定前のマスコミへのリークと,一転して脳死判定「
失敗」後の情報非公開など,どうも不透明な点が多かったように思えるのです
が,外からは判断できる材料が少ないのでこれ以上は言えません.脳死移植再
開第1例として本当にこれで良かったのか,どうも心配が残ります.

そういえば,マスコミにはドナーカードを持って帰る人が急増したと書かれて
いますが,うちの受付においてあるカードは相変わらずほとんど減らないみた
い.


[特集]脳死移植 asahi.com


くば さんからのコメント
(1999年 3月 8日 月曜日 22:49:35)

今回最初の報道はどこからどういうルートで流れたのか気になって調べてみた
のですが,なんとNHKだったのですね.Yahoo!掲示板の「脳死臓器移植」と
いうトピックのメッセージ番号181-185に「記者の内部告発」が載っています.

Yahoo!掲示板


くば さんからのコメント
(1999年 3月 8日 月曜日 23:13:00)

参考ページその1(毎日新聞はとって読んでいるのでスクラップ帳がわりに)

毎日新聞科学環境部「臓器移植」


くば さんからのコメント
(1999年 3月 8日 月曜日 23:17:37)

その2:一応朝日新聞も

asahi.com 特集:脳死移植


えの さんからのコメント
(1999年 3月 11日 木曜日 20:38:44)

私の今の優先順位は下記の場所に置いてます。

NHK


くば さんからのコメント
(1999年 3月 28日 日曜日 11:24:49)

今回の報道に関してNHKにメールを書こうと思って書きかけになっていたの
ですが,今度はこんな事実が明らかになりました.(↓河北新報)

文面から察するに15歳以上だと考えられますが,心臓死での腎臓のみの提供を
断って,臨床的脳死状態の子を,死に場所(正確には死の判定場所)を変えて
臓器を提供するためだけに八戸−三沢−米国へと搬送するという事態は,臨床
医の立場から考えればかなり問題があると言わざるを得ません.

もちろん,個別のケースについて家族の判断をとやかく言う立場ではありませ
んが,一般論として自分の立場で考えてみても,この選択はまず考えられない.

こういうのが「移植先進国」の常識(移植ヒューマニズム)だとしたらそんな
常識は是非ともお持ち帰りいただきたいと思う.

いずれにしても,八戸でもいつ脳死移植が行われてもおかしくない時代になっ
たことは間違いないようです.

八戸で臓器提供見送り/本人の意思カードなく/子が脳死状態、米軍人申し出


えの さんからのコメント
(1999年 3月 28日 日曜日 18:33:02)

ある報道ではアメリカに出発する前に腎臓以外は使えない
状態だったとのこと。
いずれにしても、日本では本人の書面による意思表示が無
ければ法律上許されないことですから、仕方がありません。

今朝、テレビでヤマダタイチ氏が「断念すること」をキー
ワードにして、話をしてましたが、どこまでも可能性を追
求することを断念することが必要ではないかとの主旨と私
は聞きました。臓器移植についても、病気の子供を治すの
に臓器移植しか方法が無くなった時に、移植の可能性を追
求しないと、冷酷な親だと言われるような社会はおかしい
とも聞こえました。もっともだなと思いました。
いずれにしても移植に関しては反対・賛成いずれも間違っ
ていないところが、難しいと私は思っています。


くば さんからのコメント
(1999年 3月 29日 月曜日 23:13:49)

今回の八戸のケースは移植賛成とか反対とかいうレベルとはちょっと違って,
何というか,これはときどきある「困った患者さん」の最たるものではないか
と思っているのですが...(今度市民病院の先生に会ったら聞いてみます)

だって,(こういう表現はなるべくしたくないのですが)脳死体という死体を,
医療行為をしながら莫大な費用をかけて本国へ送るというのは,どうしても私
には理解しきれない.脳死の患者さんは生きているというのなら,まだ話はわ
からないでもないが...

今日の毎日新聞には,小松美彦氏(科学史,生命倫理学・玉川大学助教授)の
<20世紀末>の読み方「いかなる文明を望むのか 脳死・臓器移植を再考する」
と題された論文が掲載されていました.この分野では結構有名な方ですね.
ちょっと興味を持ったので下記の本を注文してみることにしました.読めるかな..

「死は共鳴する―脳死・臓器移植の深みへ」

  ISBN:4326153199
  小松 美彦【著】
  出版社:勁草書房
  NDC:490.15   96.6.20   296,18p 19cm(B6 
  \3,000

  「死は自己決定権」批判。脳死・臓器移植問題を考えるうえで壁となる「個人
の自由」という考え方を乗り越えるために歴史的視点から死の現在と未来を見つ
める。

           序論 開幕前の暗
           第1章 考察の開幕
           第2章 先端技術と脳死論争の死角―脳死と死との等置批判
           第3章 臨床医学の暗流―脳死・臓器移植批判
           第4章 死の屍―脳死をめぐる「死の自己決定権」批判 


えの さんからのコメント
(1999年 3月 30日 火曜日 12:20:10)

もっともですね。
自己陶酔でしょうかね。誰か止めてあげる人が必要でしょう。
「命は地球より重い」なんて私が子供の頃はよく聞かれまし
た。今はお金で命を切り合っているご時世ですから、納税者
のこともアメリカ空軍は考えないといけません。