会議室:「くば小児科BBS」

八戸のまちは...

発言者:くば

(Date: 1998年 3月 12日 木曜日 17:52:54)


 昨年の秋ごろ,旧掲示板で八戸の街づくりの話をしたことがありましたが,
例の大型ショッピングセンターがオープンしたようですね.ただし新聞広告を
みてもあんまし興味がない.いずれ一度は行くんだろうけど,オープンしたか
らすぐに行ってみたいと思わせるような特色が全然ない.要するに,大きくて
お店があるというだけでしょ.だいたいネーミングがひどい.「ラピア」を蹴
落とせ「ピアドゥ」ですか.わしゃ「ラピアと同じ」ちゅう意味かと思ったよ.
中に「ソピア」という店(?)もあるようで,何も八戸人がネーミングしたわ
けではないと思うけど,あんまり意味のない名前つけて後悔しないといいんで
すけどね.

 まあ,私の場合大きなところより,小さくても特色のある店(シティナビの
方に書いた麦酒屋さんとか旧河内屋のような)とか,こんなところにこんなお
店があったのかと発見があるようなところの方が好みですね.うちもその手の
一つに数えられれば良いのですか...

 中心街といえば,今年の冬わかったこと.おいおい,街に人を集めたいんだ
ったらちゃんと歩道の雪かきしなさいよ.自分の店の前で客がつるつる滑って
るんだから,雪が降ったら凍る前に雪かきして,凍ったらちゃんと氷割って,
とけたら流れるようにするなりしたらどうなの.昼とけたのを放っておけば夜
は凍って更にひどいことになるのがわからないはずはないでしょ.長横町なん
て坂道なのに,危なくてまともに歩けなかったじゃないか.こんなんじゃいく
ら活性化の対策考えても無駄でしょうね.


本田忠 さんからのコメント
( Date: 1998年 3月 12日 木曜日 19:02:50)

1)巨大チェーン店
早速昼休みに回りを回ってきました。周囲は工場だらけですごいところにあります
向かって右奥は工事現場という感じ。中心街のヨーカドーが消えれば、中心街の
地盤沈下は必至。2年後に消えるという話もありますね。
2)大蔵省などの一連の金融汚職
3)医療改革
4)インターネット(マイクロソフト)
基本的にはすべて世の中はグローバルスタンダードに向かっている
 手順の透明化(ネゴシエーションの撤廃。根回し、接待)。
 市場原理の徹底(競争原理を持ち込む)
 独占企業の勝利と貧富の差の拡大
日本のアメリカ化ですね。
 土壌が違うところに、完全透明化してうまくいくのかな。
 すこし性急すぎる気もする。
 不透明さをなくしたら、不透明は消えるとは思えないので、より不透明に
 なるだけで、たとえばアメリカ社会のマフイアはそういう土壌のなかで
 生まれてきた組織の気がする。誰がマフイアだかわからない。
人間って割り切れない動物の気がしますが
不便さをきらって、便利なこととか合理性を追求するのも同じ事かも
近代合理主義と、資本主義は双子の兄弟。
時代の流れですかねえ。
 近代資本主義は、要するにピューリタリズムからはじまった
仕事と報酬が見合わない。報酬でなく義務や責任感で仕事をする。


本田忠 さんからのコメント
( Date: 1998年 3月 12日 木曜日 19:04:44)

というのはマックスウエーバーですね。
最近また読み返す必要感じます


江野川義文@ a shake さんからのコメント
( Date: 1998年 3月 13日 金曜日 16:50:24)

時代劇なら、「役儀によって言葉を改める」でしょうか。以下、言葉が一本
調子になります。
スタンダードの前提は「異質の存在」であり、突き詰めると「個人の開放」
である。個人は全て異質である。しかし、A代議士ではないが、個人は弱い。
異質なもののネットワークを形成することにより、一つ一つは弱い存在であ
る異質な個人の、安全を保証し、より大きな自由度を生みだし、個人を開放
するのである。その時にスタンダードが必要になる。ネットワークが全世界
に及べば、グローバルスタンダードが必要となる。問題は何をスタンダード
とするかである。マックではなぜいけなかったのか?WINが登場する前の
PCは、オタクの道具にすぎなかったではないか。少なくとも個人を開放す
る道具とはなり得ていなかった。インターネットにより、個人はより大きな
自由度を手にしようとしている。八戸にイトーヨーカドーがあるということ
を知るだけでも、個人の自由度の増大に繋がるのである。私はいわゆる八戸
弁は分からないので、スタンダードは必要である。スタンダードは透明でな
ければならない。
因みに、私はMAXが好きだ。おやじだ。


本田忠 さんからのコメント
( Date: 1998年 3月 13日 金曜日 18:05:51)

江戸川先生今晩は。maxってなんです?
個人のあるいは社会の自由化と手続きの透明化は必要なのでしょうが、
同時に、競争も生まれますので、勝負がはっきりする。貧富の差も広がる。
光と影でそういいことばかりではない気がしますね。
日米の社長さんの給料比較では、日本はせいぜい5−10倍。アメリカは100倍
ぐらいでしょうね。これは明らかに取りすぎの気がする。


くば さんからのコメント
( Date: 1998年 3月 13日 金曜日 18:15:30)

うーん,なんかわかったようなわからないような話の流れですが,
簡単に書くと,自由化=巨大資本の独占=中小業者の駆逐 では必ずしもない
ですね.それから,肝心なことは日本も含めて今の西洋文明が明らかに転換点
にさしかかっていること.例えば自動車と環境の問題にせよ,高度成長・消費
型のライフスタイルは必然的にもう変化してきている.以前にも書きましたが,
郊外型SCが乱立しても,商圏人口は(広めにみても)限りはある.消費はさ
ほど増えない.おそらく計画時の需要は見込めないでしょう,この不況ですか
ら.そうなれば,中心街との競合よりはむしろSC同士のつぶしあいになる可
能性の方が高い.これは他の地方都市でも既におこっていることですね.

市民病院が巨大化したからといって開業医への需要が減るわけではない.もし,
他業種の参入が可能になって全国チェーンのコンビニ診療所ができたとしても,
おそらく恐れるほどのことはない(だろうと思う).

いま人が求めているのはそういう姿ではありません.
MSがインターネットの根っ子から全て牛耳っている姿とか.
むしろ多様性が求められている.
これは江野川さんが書いていることがそういう意味でしょうか.
インターネットがスタンダードになったのは,TCP/IPという標準的技術
とUNIXというフリーソフトの世界があったからですね.当初は資本とは無
縁だった.これが今の世の中のあり方と急激に合致して受け入れられた.
MSのやり方とは(精神的に)相いれないところがある.
求められているスタンダードはもっと目に見えない(ような)ものである.
うまく言えませんが,ちょっと講演会に出かけるので(もし続きがあれば)ま
たあとで書きます.


江野川義文 さんからのコメント
( Date: 1998年 3月 14日 土曜日 0:06:24)

くば先生、やっぱり。私も自分で、自分の文面が、よく分からんぞと思います。
個人個人を繋ぐ、ネットワークが充実し、成熟すれば、独占などは一過性のも
のでしかない。奢る平家は久しからず。そのためには、まだまだ、桁外れのイ
ンフラの整備が必要ですが。その暁には、きっと怒涛の力で、独占などという
ものは潰されてしまうという、楽観論です。テレビは世界のスタンダードで、
方式も主なものだけで数種類ありますが、成熟して、ソフトもハードも独占な
どは見られません。

本田先生、MAXですか。芝刈りをけなしておいて、お恥ずかしいです。新幹
線ではありません。参考サイトを一応、あげておきます。


江野川義文 さんからのコメント
( Date: 1998年 3月 14日 土曜日 11:51:41)

あ、参考サイトのURLがアップされてませんね。YAHOOでMAXの
ヒットの一番上です。それと、オフラインで書き込んで、アップしようと
すると、失敗することがありますね。名前の問題でしょうか?


本田忠 さんからのコメント
( Date: 1998年 3月 14日 土曜日 15:49:48)

MAX調べました。女の子のグループの名前なのですね。これはだめですね。
最近見るのは経済新聞だけで、テレビもほとんど見ませんから、オジンどころか
仙人です。あんまり世の中に疎くなるとまずいですね。中学生の娘に馬鹿に
されそうです。



本田忠 さんからのコメント
( Date: 1998年 3月 14日 土曜日 17:37:42)

●情報化社会の発展でどういう世界が広がるか
「情報化社会とは,物質=エネルギー的要因とともに世界を構成する根源的な素材と位置
づけられた情報的要因が,あらゆる側面で産業化の対象になっていく社会である。」(吉田民人)
特徴としてはトフラーによれば
1)多品種・少量生産 
2)地方分権 
3)自由化・個性化・多様化 
  フレックスタイム制 
確かにおっしゃるとおりです。
ちなみに第二の波:産業革命  
1)大量生産 
2)大規模化・極大化 
3)中央集権 
4)標準化・均一化 
5)規格化・分業化  
 
情報化社会の進展  
http://www.edu-c.pref.osaka.jp/kak/jyouhou/johokyoiku/a1-1.htm 

問題としては
1)産業の国際競争力の低下 
2)産業の海外展開・空洞化
3)貧富の差の拡大

3)現在の問題
行政を含めた社会全体の透明性・効率性の欠如
高コスト構造
既存制度・システムの制度疲労

日本経済のグローバル化は,日本企業の海外進出という形で着実に進んでいる。同時に,
国内経済の空洞化を避けようとするならば,新しい産業・企業が空洞化に見合うペース
で国内市場に登場することが必要である。

わが国の経済政策として,規制の緩和,情報インフラの構築,内外価格差の解消などに
よって国内市場のグローバル化を積極的に推し進め,国際競争力のある経済基盤を構築
していくとともに,高成長,高付加価値の新しい産業・企業を創り出すパートナーとし
て,海外の企業を活用する方法を考えても良いのではないだろうか。

情報化社会論の展開
(1)産業社会から脱産業社会、情報化社会へ
   「・・・このことから産業構造の変化を、農業から製造業へ、そしてサービス、情
報へというように、直線的な発展として理解するのは適切ではない。たしかに、これまで
の傾向を事後的にそのようにみることもできるが、しかし、将来の傾向としてこの図の情
報やサービス化にはどこかに頭うちがあり、その情報化・サービス化のインパクトによっ
て今後はふたたび農業や製造業事態の質が変り、それがさらに新たな情報化・サービス化
をもたらすというように螺旋型の発展を展望する必要がある」
(今井賢一『情報ネットワーク社会』、岩波新書、1984年)

経済学の歴史
(1)イギリスの世界支配と重商主義
(2)フランス絶対王政と重農主義
2、産業革命と経済学の成立
(1)古典派経済学による富の概念の確立=労働価値説
(2)K・マルクス『資本論』(1867)=剰余価値説と資本蓄積の理論
3、独占資本主義段階と経済学の発展
新古典派による限界革命=効用価値説の提唱
レーニン『帝国主義論』と社会主義体制の成立
4、戦後の高度成長と経済学の黄金時代
(1)ケインズ革命と政府の役割
(2)新古典派総合による経済政策、ポリシー・ミックス
5、低成長と経済学の混迷
(1)ニクソン・ショック、オイル・ショックによる低成長時代の到来と経済学の危機
(2)マネタリストによるケインジアン攻撃、レーガノミックスと新保守主義経済学

経済学にも流行があり、現在は主導的なのは規制緩和論者でレーガノミックスにのってい
るだけ。自由化や情報化はばら色ではないし、スピードが速くなり、影響がすぐ出る社会
であるだけの気がする。
上の規制緩和論者の意見にのれば、産業を作りつづけなければいけない。
雇用の創出を作り続ける社会というのは同時に、つぶれつづける社会でもある
 ダイナミックすぎて疲れる気がする。何時失業になるかおびえつづけなくては
いけない社会。弱肉強食の世界でもある。成熟社会とはとうていいえない。
パリの風景を見て、建物の減価償却が終わった町にすんでいるといった方がい
ます。日本で減価償却のすんだ家に住んでいる方はほとんどいない。
ストックがない社会でこういう事をしたら、自転車操業になる気はしますね。
いずれにしても
unixとインターネットの世界はsunが覇者だった。そこへMSが攻撃を
しかけている。
 デファクトスタンダードがそのまま標準化される。
情報があまねく行き渡れば、均質化もありますね。
まあ予想がつかないということは予想される。


江野川義文 さんからのコメント
( Date: 1998年 3月 14日 土曜日 22:44:34)

経済学は病理学に似ている。現在の病理学は、心不全を捕えられない。
臓器の解体の集積では、生き生きとしたヒトの鼓動は捕えられない。
経済も生きている。経済学は単なる解剖にすぎない。指し示す未来は
おみくじに似ている。
ちょっと言い過ぎでしょうか。湯島天神のおみくじは良く当たる。


江野川義文 さんからのコメント
( Date: 1998年 3月 15日 日曜日 11:29:50)

本田先生、勉強家ですね。MAXまで、お調べになったんですね。確かに、
日経新聞にMAXは載ら、あ、載ったかもしれませんね。先日、中学生に
ナイフの携帯を止めさせようと、警視庁?がMAXを起用して、ポスター
を作りましたから、それがきっと記事になっていると思います。中学生の
娘さんには不用意にその知識をぶつけない方が良いかもしれません。はや
りものにも命がありますので。先生のこと、社会学的捕え方をなさってし
まうかもしれませんので。


本田忠 さんからのコメント
( Date: 1998年 3月 15日 日曜日 12:24:35)

概念で動くのはだめで、観察しなさいということなのでしょうね。
現象をきちんと把握してそれを抽象化して、みんなの見える形にする。
そういう操作ができないと誤る。

今悩んでいるのは、
1)情報とお金
情報を流す、あるいはのせるのにお金を取れるのか?
お金を払うだけのメリットを出せるか?
ネットの普及のためには無料がよいのか?
難しい問題です。かすみをくって生きているわけではないので
財政基盤はきちんとしなければいけないし

2)情報の質と量
 魅力ある物にするには情報を流さなくてはいけない。
ではその情報はどこから持ってくるか?
その量は?
 まあこれは退屈な話ですな


江野川義文@狼? さんからのコメント
( Date: 1998年 3月 15日 日曜日 21:43:55)

ラーメンの世界では、とんこつブームとか。私は、友人たちがラーメンを
食べていても、一人チャーハンを食べていたくちなので、ブームはたいし
た意味を持たないのです。私が医学生時代に住んでいたアパートの近くに
は、ジモティに人気がある有名なとんこつラーメン屋があって、店の前の
道路はラードで揮水加工されたみたいになっていました。何かの折りには、
何とも言えない臭いが漂ってくるんですよ。考えてみると、これが「弱肉
強食」の臭いかもしれませんね。罪深さを感じるのは、人間の独善でしょ
うか。罪はSINの方です。


本田忠 さんからのコメント
( Date: 1998年 3月 16日 月曜日 8:43:22)

1)市民病院が巨大化したからといって開業医への需要が減るわけではない.
 反論
 受療率は変わりません。ただし
 1)大病院への患者集中
 2)開業医の患者減少
 は周知の事実です。病院と開業医は現在の制度では、競合します。

2)もし,他業種の参入が可能になって全国チェーンのコンビニ診療所ができ
たとしても,おそらく恐れるほどのことはない(だろうと思う).
 何を恐れるかと言うことです。
 1)過当競争になる
 2)それよりも怖いのは過度の合理化で、医療の質が落ち、医療への信頼が
 なくなることです。
経営的な面だけとらえれば、影響は最小にするであろう(多分)。しかし医療の質は?
もっと大事なのは、自分たちの医療がどうなるかはきちんとチェックしておい
たほうがよいだろうということでしょうね。
 制度をしらざるして医療はできない。


江野川義文 さんからのコメント
( Date: 1998年 3月 16日 月曜日 18:28:43)

医療とお金の問題ですね。実は、私のライフワークの一つです。お金とは
何か?そんな話しからやっていると、皆、お墓に入ってしまいますので、
消化の良さそうなところから食べましょう。食べ散らかしでも、少しは血
となり肉となるでしょう。前提は「ヒトの脳がしている仕事の大部分は損
得勘定である」ということです。

医療を貨幣経済の中で特別扱いできるか?
特別扱いしたい気持ちは分かるが現実的でない。アサノタクミノカミの切
腹の場に、オオイシクラノスケを登場させたいのは分かるが、それはちょ
っと現実的でない。感動的ではあるが。

我が国で一般的に病院の経営が苦しいのはなぜか?
出て行くお金に対して、入ってくるお金が少ないからであろう。

出て行くお金を減らせないか?
不断の努力によって、物品・労働力の調達価格に影響を与えることはでき
る。もう一つ、自己消費を少なくする。例えば、電気代の節約である。角
南義文先生もやっているらしい。涙ぐましいが、当たり前のことなので、
今更の感が拭えない。もう一段、医療行為自体のコストを落とす。出来高
払いでも、定額払いでも、折衷でも、これは検討の余地がある。また、固
定価格制では、医療機関にとって、コストの削減(医療行為自体のコスト
削減を含む)が生き残りの唯一の希望の光となる。コストの削減は技術革
新が伴わなければ、質の低下に繋がってしまう可能性がある。固定価格制
は、医療の質の低下の動機付けになり得る。さらに、それに歯止めを掛け
る因子が見当たらない。医療行為の質の評価が不透明(薬品の様な、同じ
物なら安い方が優れているという判断が難しい。同等性の保証が困難であ
る)であるため、志の低い医療機関ほど、利益が大きくなる可能性がある。
志の低下の動機付けともなり得る。固定価格制という一種の特別扱いは、
特別にした割には国民にメリットが少ないかもしれない。

入ってくるお金を増やせないか?
現状では、患者の延べ人数を増やすのが王道である。医療費に限りがある
ことから、大きさの決められたパイの奪い合いとなる。病院の過当状態で
ある。価格固定制のために、過当状態で起こる競争が、医療費の削減に結
び付かない。過当状態が維持され続ける。

結論として、病院の健全な経営を阻害している一つの元凶は価格固定制で
ある。医療費に、市場原理や医療上の理由に基かない、上限が設けられた
こととあいまって、このシステムは、不透明な割には、国民が得るものが
少ない。


くば さんからのコメント
( Date: 1998年 3月 16日 月曜日 20:12:20)

まずお断りしておきますが医療においては自由化や規制緩和が必ずしも善であ
るとは言えない.むしろ福祉国家的ニーズが高まっているとも言える.しかし,
現在の高コスト体質はあらためる必要がある.具体的には老人医療と終末医療
と薬.

結局パイは限られているのだから適正に分配しなければいけない.
今までと同じということはあり得ない.どこかに必ずしわ寄せが来る.

病院と開業医が競合しているのはお互いに問題があるからです.それを患者が
求めるからとか,あるいは開業医が旧態依然とした診療をしていながら大病院
指向に苦情を言っても仕方がない.

もちろん患者にも問題がある.かかり方を変えてもらう.
そのためには最低限の医学的常識を持ってもらうこと.賢くなってもらう.
それが結果的にコスト削減にもつながるのであれば政策的にも見合う.

患者のニーズ,患者の権利,かかりつけ医といった言葉を並べてみても,これ
からの方向性は住み分けであることはあきらか.単純に数を競うよりも質を競
うべき(本来は).

他業種の参入でたとえば小児科の夜間診療を行う診療所ができたとしても,コ
ンビニ的低コストマニュアル診療で地域の小児医療のニーズを捕まえられるか
と言えば非常に疑問です.何よりマンパワーの問題(そんなところに勤めたい
ような医者も看護婦もいない).結果として患者側からの選択が起こる.それ
がさほどおそれる必要がないと書いた意味です.

元に戻るが,規制緩和は危険だが構造改革は必要.問題はどこをどうつつくか.
開業医も病院も患者も国も製薬会社もみんな懐がホクホクのシステムはありえ
ないわけですから.誰かがコストを負担するか,総額を抑制するか,今はその
両方から責められているわけで,少なくとも国が負担する福祉国家にだけはな
らないだろうと予測できるのですから.

ここまで書いて放っておいたところで江野川先生の書き込みを発見.
もう一つ収入を増やすのは最近規制緩和(^^;)になった副業のススメですね.
JRなみにあれこれ手を出して行くしかないか.


本田忠 さんからのコメント
( Date: 1998年 3月 17日 火曜日 16:14:20)

妥当なところに収まったようですが、実は医療費の成長率は6%。賃金の成長率は
2%。4%減らそうと言う話なだけなのです。27兆円の4%ですからすごいお金では
ありますが、そうドラステイックな話ではない。
ところが改革は大袈裟なんですね。これが
これを機会に全部行ってしまおうと言うことなんでしょうが
まあ患者さんの流れが変わるのは歓迎すべきとは思いますが

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
話は変わって規制緩和の正体
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/2070/181bigbang.htm
ビッグバンの狙いは経済の「バクチ化」これは欧米のアングロサクソン型思考が得
意とする、海賊的、狩猟民族的な指向であり、農耕民族的な日本には不得意なもので
あるはず。個人個人が等しくリスクを背負う社会。自己の責任ですべて対処する。

http://news.jp.msn.com/powercolumn.asp?id=nishibe-970630
資本主義の貫徹を歓迎する世論の奇妙さ
西部 邁  1997年6月30日
グローバリズム(世界主義)の観念にたいする抵抗力がこの国ではゼロに等しいという
点にある。というのも、グローバリズムにもっともよく適合するのは資本の営利追求
活動だからである。 
 大まかにいって、資本の運動は利潤最大化のみを追求する。そこにあってはたいが
いの規制が資本の運動にとっての障害物とみなされる。 

 つまり資本主義を支えるもっとも基礎的な理念は「規制からの自由」という(I・バ
ーリンの用語法による)「消極的自由」なのである。 
 しかし、家族においてであれ学校においてであれ、また地域においてであれ職場であ
れ、「規制からの自由」など、貫くことなどできない価値であるということが、すぐに
分かる。 
●勤労者は「ローリスク、ローリターン」がよい 
 このような資本の自由運動にもっとも寛容なのは、「自由の精神」によって率いられ
る国、つまりアメリカである。だから、アメリカニズム、グローバリズムそしてキャピ
タリズムの3者は互いに重なり合うところが多いといってよい。 
 ところが日本の場合、愚かしいのは、日本の国柄とも日本人の国民性ともうまく折り
合わないはずの、その「主義」のなかに、頭から突っ込んでいることなのだ。 

金融マンたちが資本主義をふりかざして商売するのは当然のことだが、さしたる貯えを
持っていない普通の勤労者(および消費者)が、アメリカン・グローバル・キャピタリズ
ムの潮流に乗ろうとして躍起になっているのは、滑稽である。 

 キャピタリズムの基本精神は「ハイリスク、ハイリターン」である。はっきりいわせて
もらうが、資本家(もしくは投機家)ならざるものは「ローリスク、ローリターン」を生活
信条として生きればよいのである。 

 収益は少ないが危険も小さい、という生活の枠組みを保障するためにこそ国家がある。
というより、国家(をはじめとする公共的な諸集団)への信頼を失ったものたちだけが、
「資本に国境はない」という資本主義の宣伝文句につられて、世界という名の鉄火場に赴
くのである。 


くば さんからのコメント
( Date: 1998年 3月 17日 火曜日 20:42:36)

今はやりの攘夷論でしょうか.西部邁というのは一種そういう思想の持ち主で
すから,書いてあることはもっともらしいのですが,やや脅しに近い書き方で
恐怖をあおりたててナショナリズムを刺激しようという魂胆がみえるような気
もします.自由化・規制緩和・アメリカナイズ全てが悪ではない.その逆でも
ない.極端な意見は少し差し引いて考えた方が良いかと思いますが...


本田忠 さんからのコメント
( Date: 1998年 3月 18日 水曜日 10:48:34)

西部さんの本は1−2冊読みました。そういうところはありますね。
論理的に保守になった方。
ただローリスクローリターンは正解です。


くば さんからのコメント
( Date: 1998年 3月 18日 水曜日 12:21:36)

私は直接読んだことはないのですが,何となく好きになれないタイプかな.
あまり論理的でない感想です,スミマセン.
確かにみんなが投資家になることはない.金融機関も安全を考えると外国資本
や国内でも大きなところの一人勝ちになることはあまり望ましい姿ではないで
すね.現実はその間に落ち着くのだろうと思いますが,あり得るケースとして
警告することはもちろん必要でしょう.


江野川義文 さんからのコメント
( Date: 1998年 3月 18日 水曜日 14:24:23)

ニシベススムですか。私は好きですね。本田先生の文を読んでいると、
彼の生き生きとしたしゃべりくちが彷彿しますね。何か憎めないです
ね。本田先生の文の中にニクソンの名もありましたが、「憎んではい
けない。憎まれても、憎んではいけない。憎んだ方が負けである」ニ
クソン大統領の最後の演説を思い出します。先人の教えは大切です。
今、日本国民は1億を超え、地球規模の鉄火場無しには、生命も安全
も維持できなくなっています。好むと好まざるとにかかわらず、鉄火
場でお金を得て、おまんまを食べる。皆、自分がかわいい。自分だけ
は楽をしたい。だから、鉄火場になるんですよね。これは、古今東西
のスタンダードですね。戦争や侵略で帳尻はもう合わせられない時代
ですから。
日本人が農耕民族というのは、今の考古学・歴史学のレベルでは、必
ずしも証明された事実ではないと思います。たぶんに、恣意的なもの
が隠されていると思います。形式主義の時代の遺物かもしれません。
キーワードはいつも、「美しい日本」です。