今年こそえんぶりのページをつくろうと思っていたのですが,忙しくてとても 間に合いそうにありません(昨年とった写真の題材も足りない).えんぶりの 季節は家族の誰かが風邪をひいていたりして,なかなか見に行けないんですね. 仕事も忙しい時期だし.なんとかネタ集めには行きたいとは思っていますが. というわけで,今年は公報に載っていた情報だけ掲載してお茶を濁そうかと.. 三社大祭は趣がないナンテ書いたこともありましたが,えんぶりはなにやら奥 が深そうで興味深い.しかし,いかんせん手持ちの資料が少ない.詳しく書か れたページも多くないのです.それで自分で調べてつくろうかと思ったのです が宿題にしときましょう. <えんぶり撮影会> 日時 2月17日(火)午前8時〜9時 場所 長者山新羅神社 <えんぶり行列一斉ずり> 日時 2月17日(火) 午前10:40〜10:55 午前11:30〜10:45 場所 十三日町,三日町,六日町 <えんぶり大会> 日時 2月17日(火)・18日(水) 午後1時〜4時 場所 八戸市公会堂 入場料 1000円(前売券900円) 前売券発売所 三春屋(十三日町),湊むら福(湊町本町),八戸観光案内所(ユートリー),文明堂(三日町) <大かがり火まつり> 日時 2月17日(火)・18日(水)・19日(木) 午後5時〜9時 (えんぶり披露は午後6時・7時・8時の3回) 場所 八戸市公会堂前広場 <えんぶり一般公開> 日時 2月19日(木)・20日(金) 午後1時・2時の2回 場所 八戸市公会堂前広場 問い合わせ (社)八戸観光協会(0178−23−4771) → 八戸のえんぶり(活彩青森ホームページ)
くば さんからのコメント
( Date: 1998年 2月 12日 木曜日 20:04:42)
他にはこんなところかな → 階上町の郷土芸能のページ
くば さんからのコメント
( Date: 1998年 2月 12日 木曜日 20:06:47)
ここは写真が多いですね → サンコンピュータ
くば さんからのコメント
( Date: 1998年 2月 12日 木曜日 21:04:50)
ナビ松さんのところにも小さくですが掲載されてますね.うちの子は小学校でも 幼稚園でもえんぶりの鑑賞会はあるようですよ. → シティナビ八戸
宣伝感謝! さんからのコメント
( Date: 1998年 2月 12日 木曜日 23:13:14)
くばさん、どうも。私のとこでも日程を載せようと思ってました。くばさんの ところをコピーして貼りつけようかな(^_^;)。サンコンピューターもなかなか いいなー。相談してみようっと。いろいろありがとうございます(^_^;)。
ナビ松 さんからのコメント
( Date: 1998年 2月 12日 木曜日 23:57:00)
すんません、宣伝感謝さんは、私のミドルネームです(^_^;)。
本田忠 さんからのコメント
( Date: 1998年 2月 16日 月曜日 22:35:17)
<<えんぶり考>> <<日程>> ●<a href="http://kankou.pref.aomori.jp/data/J__KANKO_DATA_01_E0002001.html">えんぶり</a> 八戸地方に古くから伝わる代表的郷土芸能で、当市に 春を告げる豊年祈願のお祭り。 真っ白い大地をゆるがす舞は、勇壮で迫力がある。 また、夜、かがり火に浮かびあが るえんぶりの舞は、 幻想的です。 ●<a href="http://www.hi-net.or.jp/sancom/maturi.html">みちのく五大雪祭りえんぶり</a> 約25万人の観衆を集め県内外から訪れた観光客が“春告げ舞”を満喫した。 ●<a href="http://kankou.pref.aomori.jp/data/01060107.html">青森の舞</a> 下北の能舞 川倉賽の河原地蔵尊 能舞 郁田流箏曲 田子神楽 八戸えんぶり 南部駒踊 津軽神楽 平内の鶏舞 <<歴史>> ●<a href="http://www.w-net.ne.jp/whashi/sec02/sec02.html"> 郷土芸能えんぶり</a> 「えんぶり」の名の由来は、鍬の柄が柄振(えぶり)と呼ばれ、その農具を持って舞った ことが発祥で、いつしか訛って「えんぶり」に。 約800年の伝統を誇る『えんぶり』は、元々、農民が神にその年の豊作を祈って行わ れた祭事です。 ◆古来、八戸地方の農家では、小正月の夕方、雪の上に田形を作り、田植えの所作をして 、その年の豊作を祈願しました。それが次第に形をかえ、えんぶりになったものと言われ ています。 えんぶりの踊りの種類には、烏帽子をかぶって舞う摺りこみ・摺りはじめ・中の摺り・摺 りおさめ、などと呼ばれる舞と、子供たちによって踊られることの多い、えんこえんこ・ 松の舞・えびす舞などがあります。 ◆えんぶりの1団を組といい、太夫と呼ばれる舞手・太鼓・笛・手平鉦(てびらかね) ・歌い手・旗持ちなど総勢15〜30人ぐらいで構成されています。 <<考察>> ●<a href="http://www.kamedaseika.co.jp/kome/hy0203.htm">お米の歴史</a> 水田農耕は田楽(でんがく・田植え祭りの舞楽)という芸能を生み出しました。やがて田 楽は猿楽(さるがく)へ、猿楽は能へ、能は猿楽能へ、さらに芝居能になり、今の歌舞伎 (かぶき)へと発展していったのです。 ●<a href="http://muse.dnp-sp.co.jp/Japan/DNP/MTN/MN/dengaku/dengaku2.html">田楽</a> 発祥と衰退 平安時代に生まれた田楽とは、田仕事のための即興的な労働歌や踊りから発 生し、田植えや農耕儀礼などの際に行われた神事へと発達した民間芸能です。 ●<a href="http://www.netcity.or.jp/michinoku/izakaya/data/31honron1.html">伝統民俗文化の現状と東北地方</a> 《田植踊り》 東北地方独特の豊年予祝の芸能。 ・田植踊り 宮城県名取郡秋保(あきう)町湯本・長袋・馬場 ・えんぶり 青森県八戸市 <a href="http://city.iwaki.fukushima.jp/100/93.html"> 稚児田楽・風流</a> 御宝殿熊野神社 菊多郡の総鎮守の神社で、祭礼には多彩な神事や芸能が行なわれます。 なかでも「稚児田楽・風流」は、県内で唯一の貴重な稲米儀礼の古典的な舞いで国の重要 無形文化財に指定 <田植えまつり> 各地の神社で、田植えのはじまる時期におこなわれます。旧暦では5月、現在では6月に もよおされる、豊かな収かくを祈るための神事です。また各神社の春のおまつりも同じ目 的を持つものが多いようです。今では、おしゃかさまの誕生を祝うまつりだと思われてい る「花まつり」(4月8日)も、各地のならわしをみると、田植えがはじまるまえに、田 の神をむかえるための行事であるものが多いのです。「田植えまつり」としては、「オミ タ」(三重県志摩郡磯部町伊雑宮)、「御田植まつり」(千葉県佐原市香取神宮)、「御 田植まつり」(大阪市住吉区住吉大社)、「御田植まつり」(熊本県阿蘇郡阿蘇神社)な どが有名です。 ●<a href="http://www.kclc.or.jp/humboldt/hiranoj.htm">日本の祭りの原点</a> 愛知県北設楽郡の田峯観音堂で旧正月3日に行われる田楽では、観音菩薩の祭壇の前に むしろを敷き、周りに斎場の印の青竹を立て〆縄を張る。鳥追い役が筵の上に立ち、四方 に向かって鳥追い歌を唄う。 元来水田の中で行っていた予祝儀礼が田の辺りに出、次に社寺の境内に移り、最後に社 殿の中に入るという変化過程である。筵はこの移行過程で、田の象徴として何時も使われ ていたのではなかろうか。 浦佐の「ねこ」という語は、ペットの猫[neko]に対して[neko ]であるが、この地 方の古い方言では農作業用の膝当て・背当てにする柔らかい藁筵を言う。従って、最終的 には、宮中における、天皇の元旦儀礼として知られる「四方拝」も同一構造の儀礼かと考 えている。 室町時代(1392-1573)、田楽のことが京都の将軍の耳に入り、それほど面白いものなら 持ってきて見せよということになった。こうして田圃の中の農耕儀礼が、都の晴れの舞台 に上がったのである。勿論立派な衣装を整え、芸の上手を選んで連れて行ったことであろ う。それが本で、都では大流行し、都人が朝から晩まで踊り暮らしたという。そのため、 将軍はついに禁止令を出したほどである。このような田楽が洗練されると、今日世界にそ の名を知られる能ともなった。 このような芝居の構造の原点を探ると、私は日本神話まで遡ることが出来ると思う。 天孫降臨の際、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)の命を受けて、巫女としての天照 大御神が詔を下すこと(古事記)。神武天皇が倭の国へ攻め込む際、その成否を占うため、 自ら「よりまし」(憑坐)となって高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)を顕す祭りを行い (うつしいわい:顕斎)、道臣命に聞かせたという伝承記録(日本書紀)等を分析すると、 不可視の神霊と、その意志を言葉で顕す者(みこ:御子・巫子・巫女))とその言葉を聴 衆に分かりやすい言葉で取り次ぎ、教える者(さにわ:審神者)という3者が、日本の神 祭りの基本的構造になっていることがわかる。ただしミコはしばしば神霊と位置が入れ替 わるため、様々な変化形態を見る。 以上のように日本の伝統的な神と、神を顕わす芸人の世界を考察することにより、私は、 ヨ−ロッパの歌劇と民衆が演ずる受難劇の原点を思い、旧約聖書が伝える神託と戦争の歴 史を考え、伝統的な演劇と宗教の世界には、神と人との接点があったのではないかという ことに気付いた。 ●<a href="http://www2.imaging.co.jp/home1/mbros/hamada/J-html/index-j.html">浜田 剛爾 ホームページ</a> 仮面と花の出会い。それは〈秘すれば花〉の「花」の本当の正体は草冠をとった化け るのケであり、仮面のケと同義語ではなかったかという連想によってもたらされた。 ケ=化はそのまま能芸の基本ともいえるスタイルである変化の化にあたり、もうひとつ のケ=仮はまたカミや憑依者を扱う舞台に立つ身分なき民衆としての芸能人が唯一仮の 人間らしい気持ちになれるケではなかったかという想像である。彼等からみればさらに 人間の気配のケであるというもう一つの理由によっても〈秘すれば花〉の「花」の部分 をケと読むことは、隠された必然であったのではないか。私は花の本来の意味をどこか にけとばしその考えに夢中になった。考えれば考える程納得がゆくように思えた。そし てこの仮説こそが私自身の生き生きとした世阿弥を手に入れた瞬間でもあったのである。 古い能芸の形式の中にある即興という概念や一期一会的な思想、さらには一回能という かたちが〈ハプニング〉や〈フルクサス〉などの実験芸術を思い起こさせる点で、能は 現代のパフォーマンスに通底する現象だと思うことがあるのだ。例えばヨーゼフ・ボイ スの作品をみた時に感じた、ヨーロッパ―文化は記憶の断片によって再生するのではな いかという文化性と、「いづれの花か散らで残るべき」と世阿弥が言う、散ることに よって〈花〉は新たな姿をあらわすというこの国の文化と美意識の間の共有性について はどこか似ているかもしれないということ…。 いささか結論めいたいい方をすれば私の〈身体〉は今もこの二つの距離をゆれ動いて いる。一方は近代主義的観念としての身体であり、他方は歴史的身体の感情についてで ある。 <<まとめ>> 元来水田の中で行っていた予祝儀礼が田の辺りに出、次に社寺の境内に移り、最後に社 殿の中に入るという変化過程である。筵はこの移行過程で、田の象徴として何時も使われ ていたのではなかろうか。 田楽えんぶりの場合は、それが鋤であり、それが名前の由来となったようである。 五穀豊穣をいわう春のケのお祭り。肉体の祝祭ですね。
くば さんからのコメント
( Date: 1998年 2月 17日 火曜日 22:04:14)
えんぶり読本(正武家種康著)を買ってきました 先週まで売ってなかったのに 倉庫から出してきたのかな 今日医師会の委員会で街に行きましたがタクシーか ら少しだけ姿が見えたくらいでした...明日時間があれば行きたいところなの ですが,午後いろいろあるんだな... この他に,今月号のアミューズや昨日のデーリー東北の別刷なんかも参考資料に なりそう..来年はえんぶりページをつくりましょう というわけでもう一つの議論の方はサボってます,ごめんなさい
本田忠 さんからのコメント
( Date: 1998年 2月 18日 水曜日 0:10:25)
本格的には見たこがないんで明日は見に行こうと思うのだけれど 舞の構造がどうなっているかですね 不可視の神霊と、その意志を言葉で顕す者(みこ:御子・巫子・巫女))と その言葉を聴衆に分かりやすい言葉で取り次ぎ、教える者(さにわ:審神者) という3者が、日本の神祭りの基本的構造 あたりがわかるだろうか??
くば さんからのコメント
( Date: 1998年 2月 18日 水曜日 19:54:36)
だめだー,えんぶりをちゃんとみるほど難しいことはない. 公会堂でやるえんぶり大会には間に合わず,まずは博物館のえんぶり展とおひな さま展をみて基礎知識を収集.その後街のあちこちで見物してあるいたのですが (ちなみに夕方のRABのTV中継の時にまわりで見物していたのですが映った かなー?),とにかく寒くなってきて,6時からの大かがり火大会は断念しまし た.17日から20日と決まっているようだから,来年からはスケジュールを調 整してみることにしよう.というわけで写真も大してとれず.TV中継は女性だ けのえんぶり組でしたが,やはり男性に比べれば迫力不足でしたね.
くば さんからのコメント
( Date: 1998年 2月 18日 水曜日 19:56:26)
昨日の訂正 誤)正武家種康→正)正部家種康 でした うちの娘の幼稚園の理事長なのに書き間違えて失礼しました
本田忠 さんからのコメント
( Date: 1998年 2月 18日 水曜日 22:15:16)
17日夜6時半から7時半まで尻内町のえんぶりを見ました。3人構成が基本。 詳しい印象記はcocktal's Barに書きましたが、意外や意外、異国情緒たっぷり 長崎か沖縄の踊りを連想しました。田楽が中国から入ったという異説が有るよう ですが、それを思い出させるようなおどりでした。子供の踊りが出色でした。 ここはhachinoheだろうか??。日本橋まで出てきました。